黄金感想……感想?(ラハ)
(続き)5.3のあとで、異世界に行けば公に会えるとなったらきっと出てこられないと思う。本来死後世界が繋がっていないからこそ未練は生者にとって前へ進む力になる(こともある)けれど、死後世界が身近にあれば生者にとって未練とは、現実世界を手放す理由になってしまう。原初世界に戻ってきても心が常に死者の世界にあるのなら、それはもう生きる意味を失ってしまうのと同義なんだよね……。だから、会いたいよ、会いたくてたまらないけれど、有ったが最後、と恐ろしく思う。
それに、時が刻まれることもなく、記録が己の精神以外に残されることもない世界で、何より有限が約束された世界で、冒険者が生きるのは辛かろう。
リビングメモリー、最初は(リア充しかいねぇな……)とちょっとだけ思った(笑)のだけど、それもそのはずで、あの世界って「誰かと過ごすために生き続ける」ことは出来るけれど「自分のために生き続ける」ことはかなり難しいと思う。あの残余の世界は、究極の家族社会というか、個人が自立独立して存在する理由が無いんだよね。基本的に解消できる未練は他者や余所事に向けられるものだけだもの。もし光戦が、7霊災後で家族の記憶もなく、パートナーもいない人だったら本当に、存在意義を固められなくておかしくなってしまうと思う。
黄金感想……感想?(ラハ)
小説にしたかったけどうまく纏められないから先に書いちゃう。(めちゃ自分の小説の話からめてて申し訳ない、隙自語120%注意)
ゴンドラでの問い、いろんな場面を想像すると涙が出たけれど、最終的な答えはラハと同じなんだよね。
私は以前ウルティマトゥーレのゼノス戦後、夢か現か分からない場所でひろしが水晶公と邂逅するひろ公を書いたのだけど……。気絶して目を閉じていたひろしは、そこで公の声が聴けたこと、存在を感じられたことに心の底から喜んで「目を開けたり、手を伸ばしたりしない(我慢する)からまだ一緒にいたい」と願っていた。夢でも構わないからと思うほどには焦がれていたし、本当に恋しかったのよね。でも公と話をして、結局最後は「(今生きている)ラハに会いたい、寂しいよ」と公に向かって言う訳だ。
現実でしか時を刻めないから、目の前に愛しい人がいてもそれは常に過去であるのよね。リビングメモリーは「最も幸福だった時間」を写すから、目に映る人の姿もまた常に過去。未来を生きて幸せそうに笑う人の顔は一生見れないと悟ったとき、弊ひろしはきっと謝ってしまうと思うんだよなぁ。
でもね、いま言った全てが綺麗事で、実際にラハが先に記憶だけの存在になってしまったら、リビングメモリーに入り浸ってしまうと思う。→
黄金感想(終盤世界)
変な言い方だけど、異世界の設定が想像していたよりも「救いがある」世界だったな。もっと歪な部分が出てくるかと思ったけど、価値観がかなりまともだった。リビングメモリーですら、住人たちは自分の存在を有限だと思ってて、だからとにかく衝突が無い。スフェーンすら演算中で無言。外側からの反対が何も無いから、存分に個人都合に葛藤できたとも言えて、だから綺麗なお話、綺麗な世界のままだった。個人の好みはともかく、それはスフェーンが必死に均衡を保とうとしてきた結果だったのかなと思う。彼女がずっとこの危うすぎる世界のバランスを守ってきたんだろうなと。だからこそ、本当は光戦には眉をさげて「優しい願いばかりを抱えすぎたんだよ」って言って欲しかったけどね。(まさか不機嫌顔で言うと思わず……)
(趣味の話をすると、スフェーン消滅後、ソリューションナインのみんなの記憶から綺麗さっぱりスフェーンの記憶が消えて、みんな「?」ってしてる方がどうしようもなくて好きかな)
光ラハとかラハ光を書く。