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について続き。続きを書けるほど勉強してないけど。

岸田文雄内閣、支持率最低35% 「反撃能力」保有は賛成60%: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQOUA228

反撃能力は6割が賛成と。
ウクライナは「平和憲法のもとでの戦争(敵地を攻撃しない戦争)」を続けていて、国中に一方的に爆撃を受けているので、あんなになってはいけないと思うのは当たり前だと思う。
気になるのは、反撃能力をもったからといって、あんなにされるのを避けることができるのかということ。敵基地を攻撃するという触れ込みだったが、たくさんある仮想敵国の基地を、どのぐらい叩けるの?、とか。

以前にも書いたけど、「敵基地攻撃能力」は国内向の出来のよくないプロパガンダだと思っている。
日本にとっての他国への抑止力は日米安保条約だ。
多少ミサイルを日本で在庫したからってかなうものじゃない。
(ただ、日本にとって実戦での防衛力にはなる。それが必要という意味なら、理解できる)

僕が思うのは、日本が今のウクライナのように無差別攻撃されることがあるとしたら、それは米国が日本に構っていられなくなるとき、ということだ。
例えば、南北戦争のような内乱とか。
内乱、分裂したら、日米安保対応はできなくなるかもしれない。

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しばらくcuiをいじらんかったらどんどんわすれていくぞい

flyingnote さんがブースト

2022年12月27日東京新聞夕刊「大波小波」で、「弱者男性」の話題に続けて、「低志会(志の低いアニメ愛好会)」の名前が出てきて目を疑った。「『ダメな僕ら』が敗北感を抱えたまま、暴力や差別に陥らず、笑い合ったり慰め合ったりする」活動、などと持ち上げられているが、この整理は正しいの?

前掲の「大波小波」は「低志会」を「弱者男性たちのセルフヘルプグループ」と位置づけるにあたって、「主催者の『てらまっと』氏がネット上に公開した評論『敗北を抱きしめて』」を参照している。実態はともかく、傍からそう見えているという意味で自業自得と言うべきなのか?

teramat.hatenablog.com/entry/2

「民意」亡国論 佐伯啓思|文藝春秋digital bungeishunju.com/n/n15db74678c

<
これはちょっと眉に唾して読まんといけんかなと思う。

>
だから彼らは、自らが信じてもいない「民意」なるものを、信じたことにするほかないであろう。この擬装によって、デモクラシーを成立させようとするのである//

<
誰のこと言ってるのか分からんが例えばこんなこといってるが、民意って言葉の切り取り方が乱暴すぎるんだよ。マスコミがそうだから、それでいいというのではどうかと思うけど。
意図的なのかどうか分からんけど。
複雑系がどうとか言ってるけど、単純じゃないからって民意を放棄していいっていうんじゃないよねえ?
続き読んでないけど。

flyingnote さんがブースト

今日の0時すぎにツイッターからメールきてた。
実際、24時間ちょい、かかったってことだわな、、、
>
Twitterアーカイブをダウンロードし、デスクトップブラウザで表示する準備ができました。2023/01/03 0:31:52までにダウンロードしてください。//
<
とのこと。
期限は24時間×7日間。
すぐにダウンロードしなくてもいいみたい。

ちなみに、ダウンロードをオーダーしたときのブラウザ表示を閉じてもまったく関係ないようだ。 [参照]

ツイッターデータのアーカイブ、ダウンロードをオーダーしてみた。
>
リクエストを受け付けました。アカウントを保護するため、データの準備ができるまで24時間以上かかることがあります。
<
だって。
どうなるんだろう。
というか、これってブラウザのウィンドウ閉じちゃいけないってやつ?

追記だけど、戦場っていったって、みなが戦士で闘い合うという意味ではないのだ。
利用するには戦場で上手く立ち回るつもりでいる必要がある、という感じ。気構えの問題だな。

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フェミニズムってなんなんだろ。
まあ、男女同権、ってぐらいの認識しかないのだ。

昔、ツイッターで女性の権利について語ってる人に、男性の権利もなんとかしたいというようなレスしたらブロックされて、最初は意味が分からなかったことがある。

男性の権利と女性の権利が対立するものという認識が当時の僕にはなくて、実は、今もそこには違和感がある。
せめぎあう場面があるとはいえ、そこはぶつかりすり合わせてやっていくしかないのだ。
対立するばかりでは無理で、相手側に味方を作らないといけない。説得力っていうことだと思うのだけど。
フェミニズムは、昔の方が説得力があったと思う。今はどうしてこうなったのか。
それは、僕自身が勉強不足なんだな。

ここにきてようやく私は、ツイッターは戦場でいいんだな、と思い始めております。
戦場だと割り切っていい状況が整いつつあるというか。

以前はどうしたらもう少し平和になるのかとか思ってたこともあったけど、構造的に無理なんでしょう。
だったら戦場だと割り切って参加した方がいい。

構造的なものなら、戦場じゃないツイッターも作ることができるかもしれないし、そういう気になった誰かがツイッターを変えてくれるのに期待しつつ、現状のツイッターは戦場だと。

僕には、ツイッターを上手く使えてる人は、そういう割り切りを出来てるように見える。

迅速で広範な情報共有力があって、災害時には強力なツールになることもあったりで、捨てるにはもったいない環境なので、僕は当面は使いつづけると思うけど。

実はもともと初心者にはハードルが高い環境なんだな、と。半年ロムれっていう。

flyingnote さんがブースト

マスクしっかり外すことをルール化してください! マスクなんかしてたら子どもたちが大変なことになる! ってPTAでご意見された保護者さん「たち」がいたんだけど、その人たち、「マスクしてると発達障害になる」って、自民党の女性議員の勉強会で聞いてきましたって言ってたんだよね。
意見聞き始めのときは「参政党かな?」て思ったけど、自民党でした。

「発達障害」への蔑視を前提としたデマの流布、自民党はお家芸みたいなとこあるから、不思議さはない。

どうもメールサーバーが遅くてセキュリティコードが届かないみたい。
以前からこんなだから仕方ないかも。

セキュリティが硬すぎてログインできないとか。
良し悪しだ。

しかしどうすべかね。

flyingnote さんがブースト

イーロン・マスクがツイッターに実装したアルゴリズムの影響について書いたツイッタースレッドを、noteにまとめました。これ以降、わたしはこちらを発言用にして、ツイッターは見る専として使っています(数回のお知らせ以外)。

『ツイッターの終焉:着々と極右専用のプラットフォームへと変貌を遂げる巨大SNS』
note.com/ichika_plus1/n/ncd1cc

しかしなんか、日本だけでコロナはやってるみたいな状況ね。
中国もか。

flyingnote さんがブースト

→ 「こういう状態」に関する知へのニーズに応えることの重要性と同時に、「こういう状態」を許容してしまったのはどのような「知へのニーズ」がなかったからなのか、より正確に言えば、それがないことにされたり、掘り起こされ損ねたりしてきたからなのか、それを考える必要が、少なくとも特定の世代や特定の領域の専門家には(そして私はその両方に被っているので本当にこれは自戒を込めての話だけれども)あるのではないだろうか。

そう思って、今年は大学院ではずっと80年代のフェミニズム本質主義論争の頃の論文を読んでいる。嫌になるくらい話がその時代で止まったままというかそこからすら逆行して今に至っていて、参加学生から「こういう議論はこの後展開されなかったんですか」と聞かれる。

…ごめん、アカデミックな流行から落ちちゃったんだよ。女性性なるものをどう考えるのか、とか。本質主義とか。身体の物質的地位とか。そういう話が。

ちゃんと続けていくべきだったのに。

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外すのはありだと思う。
そのかわり、コロナは場合によっては死ぬ病気前提で、重症化したときの対策、治療が出来る体制を維持した上での風邪扱いなら可能だと思う。
つまり、そういうコンセンサスを確保しないといけない。

病棟がクラスタ化してても「風邪扱い」して、医者も看護師も仕事を休まない、ってことだ。
そういうとこに、患者さんが分かった上で、入院するというのを許容しないと。

例えば骨折で入院して、コロナになって酸素が必要になったらそういう治療が出来る部屋に移動してもらいますと。
そういうのを織り込み済みで病院を運用する。
風邪をひいて酸素が必要になったというだけで、入院したせいで感染させられたとかそういうことは言わない。
ほとんどの人は大した症状なくて、仕事だって普段と変わらなくできる。医者も看護師も。
まあ、しんどいなら休むのもいいだろうけど。
こういうやり方なら医療崩壊しない。と、思う。

ワクチン打ちたくても打てない人とか、基礎疾患あったりしてコロナにかかるのがまずい人にとっては大変な環境になるけど、ゴーグルやN95マスクでなんとかするとか、コロナ感染したら治療する体制は維持するので、がんばろう、とか。

どうなんかね、こんなん。
でも、他の手がない気がするんだよね。

ほう、、、
国連がコロナを感染症対策から外す準備してると。

flyingnote さんがブースト

朝日新聞がスポーツと暴力の問題を積極的に取り上げいる。「私もかつてサッカーをやっていて、スパイクで蹴られ、「水を飲むな」という指導を受けた世代です。水分補給はともかく、昔のノリで教えている指導者がまだいて、体育会系の声の大きい指導者がのさばる傾向にまだある、と感じます。
 一般的に、教員になる人は22歳で大学を卒業して、新入社員と同じ立場なのに「先生」と呼ばれます。忙しくて、しっかりニュースも見られず、世の中がどうなっているかをよくわからない生活を送っているかもしれません。そんな中、スポーツの指導者研修も受けずに部活動の顧問になり、根拠もエビデンスもない指導でも、自分が受けてきたことと同じ指導をする「負の連鎖」があると感じます。
 そもそも部活動で明らかになっている体罰、暴力を、私は生徒に対する虐待だと思います。なのに、発覚すると「行き過ぎた指導」と言いますね。そこが既におかしいと思います。」
onl.la/UBkmvzd

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