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希死念慮、消えた。どこ行った?? 気分の乱高下激しすぎる

泣きながらねこに擦り寄るとびしょ濡れの顔を舐めてくれて、やさしいなって思う。誰にも生存を望まれてないとか、ねこたちに失礼だったな。
「(人間の中では)誰にも望まれてない」に訂正する

親から電話されたくないけど着信拒否にしたら家に凸してきそうで嫌すぎる。誰か代わりに応対してくれ………

ねこたちのことが好きなのは、自分本位な期待よりもわたしへの愛を強く感じるから

「こんな病んでるアカウントだと思わなかった」とかもあるだろうけど(アカウント名から取っちゃったからね)、そういうのも全部疲れた

でも死んだら来年の本が出せなくなると思うとちょっと残念だ。自分にしか言えない解釈がこの世に存在しないままになると思うと惜しい

自分が死ぬ想像にわくわくするのは、「なんだかんだ言ってどうせ生きてるだろ」っていう期待を裏切る行為だからだと思う。他人にとってこの上なく不都合な存在になるのは気分がいい

死にたいな。期待に応えつづけることに疲れた

今できる方法を考えると一酸化炭素中毒とかが現実的だけど、ねこを巻き込みたくない……

とっくの昔に殺しておいて、今さら生きてほしいとか都合がいいんだよな。これは世界への恨み

社交不安の本を読んでて驚いたのは、社交不安そのものじゃなくて「情緒的ぬくもりに欠ける養育」が「虐待」って書かれてたこと。
虐待だとまでは思ってなかったけど、虐待だったのかもしれない。
世界に死を望まれているわけでないなら、むしろなぜ家の中でも外でも心を殺すことを強いられなければいけなかったのか聞きたい

首吊はイメージ的に苦しそうなのでなんかなって思っちゃうのであった。死んでからが汚そうだし……死んでからも他人からどう思われるかを考えている……

「自分は死ぬべきだ」という信念に自分ひとりで立ち向かうのは難しい

一度たりとも誰にも生存を望まれたことがない(主観)のに生き続けることほど苦しいことはないでしょ

死ぬことでしか伝えられないことがあるなら自分は死を選ぶし、その選択を間違ってるとか、どうすれば生かせたかとかに終始してほしくないな。
自分の生き死によりも重いものがあったということなんだから、そっちにフォーカスしてほしい

死んでみて自分を知ってる人が驚くところが見たいとは思うものの、死んだ後他人が自分の死に悲しむところは想像できないあたり、精神状態をよく表している

ちょうど眠剤1月分切れたところで運がよかったといえばいいのが悪かったといえばいいのか。ODしようにもできない

マジで生まれてくる前に同意取ってほしかったすぎる

今は期待を裏切りたい気分だからしばらく放置してようかな。わたしの死にたさの1/3でも味わえばいいのにって思っちゃう

わたしが死んでるんじゃないかと心配してそうな親に返信するのがめんどい………

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