優れた報道などに贈られるピュリツァー賞にイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が続くガザ地区の惨状などを伝えた報道が各部門で受賞し、特別賞には「ガザでの戦闘を取材するジャーナリストとメディア関係者」が選ばれました。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20240507/k10014441901000.html
福田利子『吉原はこんな所でございました ―廓の女たちの昭和史―』を読んだ感想
“何よりも、吉原の花魁として生きていた人たちが、その運命を受け入れながら、精一杯生きていた姿を知っていただきたいと思うようになったのでございます。”
(福田利子『吉原はこんな所でございました ―廓の女たちの昭和史―』より)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480427625/
読み応えがあった。
著者の半生を通して、吉原の辿ってきた歴史を書き記している。やわらかい話し言葉なので、直接お話を聞いているような感覚で読めるところも情緒があってよかった。
著者は大正十二年、吉原の引手茶屋「松葉屋」の養女として三歳から吉原で暮らしていたという。
著者自身の家庭環境も複雑なのだけれど、健気に育ってやがて養母の仕事を手伝うようになる。
引手茶屋というのはお客さんが花魁に会う前に待機する飲食店といった様子で、お客さんは芸者たちのおもてなしを楽しんだあと、ここから花魁の待つ貸座敷に案内される流れのようだ。
花魁に逃げられないように吉原の一帯はぐるっと大きな溝で囲われていて警察の許可なしには外出できなかったようだが、著者はここから友人と一緒に外の学校に通っていた。吉原で商いをしている人がいるのだから、家族があって子どももいてそこで生活があるのは当たり前なのに、私は今まで想像したことがなかったのでいろいろと驚いてばかりだった。
貧しい農家の娘が自ら身売りを決意したという話や、ある県では国有地の価格が上がったために年頃の娘がみんないなくなったという話などもあり、家族を助けようとした女性たちのことを考えるとつらくて仕方がない。
当時は地域によっては相談所や周旋所が設けられていて、そこから吉原入りが決まった人も多かったようだ。国の管理のもとに警察の監視下で貧困家庭の娘さんが売り買いされる、という仕組みがあること自体が今の暮らしのなかでは想像もできない。
そういった遊郭の仕組みについてや、儀式や花魁や芸者のこと、著者の幼い頃の思い出などが語られたあと、話は戦争の時代へ入っていく。戦後すぐの頃、家をなくし困窮した女性たちがどんなことになったかという話が一番つらく、憤りもあり、気持ちの持って行き場がなくて涙が出てしまった。その収入で家族を養っていた人もいたようだ。
敗戦、公娼制度の廃止、赤線の誕生、売春防止法など、世の中の流れとともに吉原がどんな道を歩んできたかが分かりやすく書かれていた。
これは吉原で育ち吉原で店を経営していた人が書いた本なので、全体を通して吉原の暗い部分は読者にあまり見せないようにしているのかなと思った。決めた花魁のもとに通い詰めて疑似恋愛をする吉原において、夢のない部分は見せられないのではないかと。
これが花魁目線であればまたガラッと印象が変わるのかもしれない。きっとそうだと思う。
今現在の感覚とは異なる部分もあったけれど、実際に暮らしていた人の記録が読めるのは大変貴重だ。この時代の吉原の空気を感じられる一冊だった。
¡Quiero convertirte en un gato supersónico!
No me pares ¡MUAU!
🏳️⚧️