戦時下の朝鮮人強制労働の記事
特集ワイド:迷い道 犠牲者の遺骨、祖国へ ダム強制労働、返還続ける僧侶 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230329/dde/018/040/017000c
旧光顕寺について
https://www.sasanobohyo.com/
「旧光顕寺は、戦時下の強制労働の死者を弔い、遺骨と位牌を安置してきた歴史的建造物です。1995年、本堂を改装して「笹の墓標展示館」と命名された建物は、次の役割を果たしてきました。
1、戦時下の朝鮮人強制労働、日本人タコ部屋労働者の遺骨を発掘・安置し、追悼すると共にご遺族に返還する営みの拠点。
2、名雨線鉄道工事、雨竜ダム工事をはじめ各地の強制労働史料と遺骨発掘のあゆみを保存・展示する東アジア有数の歴史資料館。
3、22年目の東アジア共同ワークショップ、学校・団体の歴史学習など、民族や世代、国境を越えた多様な人々の交流の空間。」
「国」の意図に素直に乗っかってできるマスクを外した人らのことは、戦争始まったらバンザイする人らだと思って見ています。
自分や周囲の命・健康より「国」の言ってることきくの優先して命粗末にする側にまわるというのは、そういうことでしょう。一緒、一緒。
マスクって「できない」人たちもいるのですが(2歳より小さい人たちも一律でそうですね マスク着用は非推奨です)、感染ハイリスクにダイレクトに巻き込まれて、そのうえできるマスクを外す人たちがマスク外しする正当性に使われたりするんで、それは本当に大変なことだと思っています。自分らの命を積極的に必要すらなく脅かしに来てる人らが、そうすることに対しての正当性の材料として消費しにきてるのって、腑沸騰しそう。
できるマスクなのにそれを外していいと判断することって、国がいいというなら自分や自分の近くにいる人らは死んでもいいって判断してるのと、実質同じになっちゃってる部分が多いんですよね日本。
マスク外せるために時間も金もかけてきた他の国と、一切ができていない日本とでは、「みんなマスクしてない」の意味が違うので。
大半の人らが、悪意すらなくそういう姿勢とってる社会。それが日本。
そういうの見えてないだけ、知らないだけというなら、日本の人々はそれだけ「社会」を見てすらいないということだよ。「社会」という概念に対する意識がない。つまり社会性がないんですね。
子どもや、大人であっても共同体からの情報が大半を占める文化圏の人たちについてはこれは必ずしも当てはまらない話だけど、でも都市圏ほどノーマスク率高いこととか考えるとなぁ。
マスク外しに乗っかった大人の個人らのことは、『マスク着用は個人の判断』らしいし、当然私は「この人はそういう判断する個人なんだな」と見ますし。軽蔑しています。軽蔑という言葉だけでは足りないけど。
RE: https://ddoskey.com/notes/9pa9jjlmpvvbflbo [参照]
少なすぎる。人の生活をなんだと思ってる。
工場復旧3~15億円補助、旅行支援2万円…能登地震支援の全容判明
https://www.asahi.com/articles/ASS1S6G6ZS1SULFA026.html
元乗り鉄。日本が近代国家と思ってた。