本気の片付け中につき
☄️葉書・ポストカード類はほとんど見返さないので、ポケットファイルはやめてまとめてケースに収納。年賀状の時期に必ず開くから年1で楽しめる。
☄️博物館チラシ・出先でもらった紙モノは、地区ごとにまとめて蛇腹ファイルへ。ポケットファイルに収納してるけど、前から順に入れていくしかないので、行った順になっているが、多分地区まとめのほうが見返しやすい。
☄️重要書類は引き続きポケットファイル。封筒は捨てて、広げて収納。ハガキも広げる!
🤔ハガキ以外のお手紙はどうしよう
🤔紙モノ以外だと、何故かビーズがやまのようにあって困ってる。あいつ意外と嵩張るうえにほとんどガラス製品なので捨てるのもなんか勿体ない……でも手作業の遊び絶対しないんですよね〜〜〜(性格)
😌ちなみに同人誌は普通の本として平然と本棚に立ててます。もちろんR18もね😉
自分は条例を守っている側の人間だが、条例ができて「縛られた」とは感じていない。むしろ、「これで心置きなく両側に乗れる」と思っている。
自分も、かつては反対に、「片側を空けておかないといけない」という暗黙のルールを守る行動を敢えてしていた。いくらか前から、「エスカレーターは立ち止まって利用してください」とアナウンスが入るようになったり、エスカレーターの壁に掲示されるようになったりし始め、「エスカレーターは立ち止まって利用するべきものである」という認識が共有されるようになったと思う。それでもまだ多くの人が、片側を空けて利用していたと思う。「片側を空けておかなければ」という気持ちも多少あったが、片側を空けて並んでいる列を無視して隣の列に入ると、横入りしたようになってしまって気まずかったのも大きかった。
今は堂々と2列に並べるので、元々歩くつもりのない人からしたら、速度が2倍になっている。2列になったほうが、トータル早いのです。
iPad購入を迷う人間の記録
【使用目的】
・気軽にお絵描きしたい(パソコン上げて液タブ繋ぐの面倒くさかった…)
・小説の推敲に、pdfに書き込みたい。サクサク読みながらメモがしたいのだ。
・デジタルアーカイブから落としたpdfとかもっとサクサク読みたい。kindle持ってるけど、kindle本は読みやすいけど普通のpdfはやりづらすぎ。
【見てきた感想】
・13インチでかっ!これで本読む気にはならんわ…
・軽くてよい。11インチなら持ち運べそう。ケースによるが……。
・キーボードはやめよう。キーボード買うくらいならMacBook買ったほうがいい。
・これ買ったら次は左手デバイスに悩むんだろうな〜〜
【総括】
何故人間は物欲から逃れられぬのか
二次創作のはなししないからサークルロゴやめてみた
【4月上旬にあった良いこと】
「街なかに座って休憩できる場所があまりにも少ない」
ということを地元の障害当事者らで数年間言い続け、市議経由で「せめてまずはバス停にベンチを設けてください」ということをしつこく言ってもらっていたんだけど、4月の通院の時にクリニックの最寄りバス停に着いた時に感動した。
新しいベンチがある!
しかも排除ベンチじゃなくてしっかりした背もたれのある普通のベンチだ!
言い続けてきてよかったと本当に思った。
次は日差しと雨避けになる屋根が必要だな…!
車椅子ユーザーにとってはベンチは使えないので寧ろそっちが重要な人が多い(自力で傘させない人も多いし)
屋根に関しては、バス停の目の前にコンビニがある所なんかはコンビニ内で日差しや雨を凌ぐこともできるけど、座れるとは限らないし、コンビニも無いバス停だとなんにもないと待つのが厳しいし、コンビニがある所だって潰れちゃうかもしれない訳だし、やっぱりバス停にベンチと屋根は必要だと思うな。
そしてバス停以外にも要所要所に休憩できる場所がほしいよね。
住みやすいまちづくりって「ここにいてもいいよ」のサイン(手段)をいっぱい増やすことだと思う。
障害者だけに限らず、あったほうが助かる人多いでしょ?やろうよ。
っていう感じで進んでいったらいいなと思いました。
田舎暮らしをしたい。できる環境が手の届くところにある。でも田舎暮らしなんか楽しいものじゃないのもまあわかってるつもり。いいことなんかほとんどなくて、草刈りと山の整備に時間を使わなきゃいけないし、山ぎわはどんどん里に迫っていて、獣は出るわ、鬱蒼として湿気もひどくなってる。
サラリーマンを辞めて田舎暮らしを満喫する人たちは、リモートワーク中心の仕事をしているのだろうか?それとも一生懸命会社に通ってる?
田舎暮らしを仕事に変えて、一旗揚げてる一握りの人たちを除いて。
自分だって会社を辞める気はないし、でもそしたら通勤時間がとんでもなく長くなるし。
決断力がほしい。
そんなつむり氏、小さい頃の将来の夢、木こり。
つらつら
結婚して子供産んだほうがいい、っていうのが、別に「それが一般的な幸せだから」とか押しつけの理由じゃなくて、社会の継続性の観点で、責任を感じている。
大きな社会の話もあるけど、もっと狭い部分からそう。もう、住んでる土地をどうするか、とかそういうレベルの話から。
でも、結婚すれば万事解決するわけでもなく、あくまで、生涯大病もせず、安定した収入を得ており地方生活に支障なく地域住民と円滑な関係を築ける配偶者と結婚し、複数もうけた子供が仲違いせず、うち1名が相続する流れを作れるかっていうことで、そんな壮大な話、成功させる確証はない。
だから昔の人は子供をたくさん産んだし、駄目だったら貰い子をしたんだなって……。
昔の人たちが村ぐるみでやってたことを、個人で継続していくことは現実的ではない。
社会の横のつながり、網目みたいになってたものが、ブチブチに切れても、継続していける仕組みづくりこそが求められてるんだと思う。
つまり私が産んだ5人の子供が全員相続を放棄しても、誰かの産んだ子供が買い取ってくれるといいなっていう、そういうちっぽけな話をしています。