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あれ以降のジャンルで仲良くなった人がいないので深刻だ。もう5年くらい経つ。認めるとあれだな。割と深刻にダメだった!!!!

表紙やりたいです!って言ってた子から「私に何をさせたいんですか」「死んでやる!」みたいなDMくる恐怖が忘れられない。同人で人とかかわるの怖い。
もちろんそんな人ばかりじゃないはずだけど、私にそれを見抜く能力はないんだな~って諦めが前提にある。これトラウマと呼んでいいのでは。

紹介制ババァ辞めたいけどよ!人とかかわるのめっちゃ怖いんだよ!!!!

あの人がいまでも私を監視してるかもしれないXを離れるの、健康にいいな…。

たぶん、アンソロやったときに命を盾に脅されたの怖くて同人で人と関わりにくくなっちゃったのだ。なんとか置きに行って、無事に発行して表向きなにもなかったことにして、怖さだけ残った。その辺すなおに認めたほうがいい…。

たぶん臆病さがすごくあって、怖くなった時に、自分の中の暴力性みたいなものを抑えきれなくなるのだな。修業が足りない!

Xでさ……流れてくる暴力的な発信をずーっとぼんやり見てる時間、たまにある。実は精神衛生にとてもよくない気がしてきた。毒されていそう。

ひるがえって、ヒカセンも図星じゃないかな。どうあっても、彼を最優先に活動しているわけじゃない。彼の憧れる光であり続けている自信もない。それすら肯定されたら、どう振舞っていいかなんてわからないよ。「受け取らないで、これだけあなたを愛しています」はしんどい。

ハドリアヌス帝は見初めた少年を連れてきて、身の回りのお世話をさせながら愛していて、愛されている少年はハドリアヌスが少年を愛しているから自分はやがて少年ではなくなり愛されなくなる、という予感のもとに自己犠牲を行う。ハドリアヌス帝は図星だったんだね。

ヒカセンが奔放なのは止められないのだけど、ヒカセンの中の一番は自分ではない、という確信がラハの中で動かせないものだとするなら、やっぱりそれは「侮辱されたものが献身の証をわたしの顔に投げつけた」に相似するかもしれない

ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』で「愛しすぎたのではない。わたしはあの子に生きるよう強いるに十分なほど愛さなかったのだ」「やさしさの底にどんな苦しさがかもし出されるものか、どんな憎しみが愛にまじっているものか、それを計るのはわたしひとりであった。侮辱されたものが献身の証をわたしの顔に投げつけたのだ。」「もし彼がこの犠牲によってわたしを守ろうと望んだのならば、最高の不幸は彼を失うことだということを感じなかったわけだから、彼は自分があまり愛されてないと信じていたにちがいない」って文章があって、読むたびに自己犠牲に対する怒りの完成形だよってのたうち回るよ。

ここならクソ長引用ができるということに気づいてひっくり返る

無職になったらもういっかい紅蓮~最新まで走るんだ、ということを心の支えにしています。そのまえに引っ越しあるけど!九州→関東の大移動でそわそわする。

日中30度もあって今日の福岡はどうかしてる!みたいな話をすればいいのだろうか。ここの扱いを手探り。

Fedibird

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