Mastodonでも他SNSでも、ふぉろわさんのフォロー欄を見て知り合いを探したりしているんだけど
私のTLやふぉろわーは唯一無二であって、親しくさせて頂いてて知り合いが沢山被っていると思っているふぉろわさんであっても、そのふぉろわーは私の人間関係とは違うんだなぁと
当たり前の事を改めて噛みしめている昨今
今日は久しぶりに起き抜けしんどかった……少しはマシになってきたけど……
日本史系とか大河ドラマ系アカウントー!どこにいるのー!Twitterにしかいないのー!?
けれども、Twitter自体がこういう場→ https://gigazine.net/news/20230731-twitter-reinstating-account-child-sex-abuse/ になってしまった以上は、もう、端的に無理。使い続けることはできない。Full stop.
英語圏(特にアメリカ)では「こんなんになってしまったTwitterを、これに賛同しない者が使い続けること自体に、抵抗としての意義がある」という意見があることも確認しているが(私が見ている英語圏ではそういういわば「青臭い」話は出てもいない。Twitterはただのインフラで、例えばパレスチナの状況を英語でライヴツイートしている人たちは、そんなことはほとんど考えていないかもしれない)、そういうインターネット・ロマンティシズムはもういい。
失われたのは、ダニー・モリスンの発言と、ジェイミー・ブライソンの発言が一緒になってリアルタイムで流れてくるところに、シェイマス・ヒーニーの引用が浮かび、カイル・ペイズリーの聖書を踏まえたしゃれた発言が続いて、ドラァグクイーンの写真やらパブの宣伝やらが脈絡なく流れてくる中に、BBC NewsやBelTelのフィードが入っているような場。
だからね、「Twitterはもはや2ちゃんねると化してしまっている」みたいな発言を見ても、「お前の中ではそうなんだろう、お前の中ではな」としか。
あなたの見ているTwitterと、私の見ているTwitterとは、絶望的なまでに、違う。すべてが特異値で構成されていたから、特別なものになりえた。私はハッシュタグGaza Under Attackを定点観測的に見る場としてTwitterを使っている。あなたはそれをきっと見ていない。
そういう場について、「Twitterは……」と一般化して、あたかも平均的なものがあるかのようにいう言説が横行している日本語圏のMastodonは、とても息苦しい。(私、日本語圏が嫌いなんだな。)
同じようにTwitterの崩壊というかマスクによる破壊を見ているはずなのに、私の見る英語圏ではそういう雑な一般化や「論」みたいなのがなくってさ、これ、以前日本語を含む多言語話者のスペイン人と話したことがあるんだけど、日本人って「論」が大好きだよねって、そういうことかな、って。
現在、自分の環境で、Twitterでないと情報が入ってこないとい分野は、第一にはパレスチナ。ガザ地区もだけど、ここ数年、急速にヨルダン川西岸地区とエルサレムの状態が悪化していて、その民族浄化を伝える大手メディアはほとんどないからね。「ガザ地区からロケットが」で即座に記事化する日本のメディア(特に毎日新聞)も、西岸地区での暴力はシカトぶっこいてる。
それから、シリア。イスイス団が暴れていたころに比べてSNSでの英語情報発信自体が減っているが(例えばラッカはイスイス団を追い出して以降は情報が出てこない。それ自体が憂慮すべきことであるが)、英語圏のSyria Campaignや日本のSSJ、現地のWhite Helmetsなどはメイリングリスト的にTwitterを使っている。大手メディアは、英語圏であれ日本語圏であれ、シリアについては、ほとんど取り上げない。
同様に、2011年の「アラブの春」の各国の情報もどのマスメディアもほとんど取り上げていないが、SNSで英語で発信しているところが激減してしまった。普段目にするのはバーレーンとシリア、エジプトのアラア解放要求くらいか。
Twitterの前はTwitter的用途(情報収集)で何使ってたかなと考えてみると、「メーリングリスト」と「RSSリーダー」だな。
Twitterは「ソーシャル」目的ではなく、基本的に「RSSリーダー代わり」として使い始めた。以降、簡単に言えば、「東京の自室から英語圏に向けて開けた窓」として使ってきていて、15年が経過しても基本、その使い方は変わっていない。特に他人とのキャッキャウフフがしたくて使っているわけではない(何かのやり取りの結果としてそうなることはあるし、そうしてつながった人とはよい関係を築きたいと思っている)。
というか、ネット上の日本語圏の「晒す」(「曝す」ではないのかとずっと思っている)という陰湿な文化が嫌いで、日本語圏とはかなり距離をとってきたし、Twitter上で交流のある日本語圏の人たちもおおむね、そんな感じの人たちが多いと思う。「情報」と「発言者(の意図)」を切り離せる人とでないと、ネットでは話はできないからね。(例えば夏目漱石はとんでもない不機嫌による支配男だったことは鏡子さんの回想録からわかるが、だからといって漱石の仕事が無効化されるわけではない、的な)
すっごい久しぶりにアカギ読んでるんだけど、鷲巣麻雀の最初の方って面白いんだなぁ…!真面目に麻雀漫画として読み始めたww
いや正直ここまでほぼ雰囲気漫画として楽しんでて、牌姿読み飛ばしてたwww
絵文字使いまくって浮かれたおじさん構文みたいになってるが大丈夫か!?