ありていに言うと親の体調が少しよくないのだが、離れて暮らしているのでじゃあ明日帰るから〜というのもかなり難しい距離
どちらかというとわたしより親のほうが「今動くの色々心配だから今は来ないでくれ」というタイプ
週末に親から「調子悪いんで火曜日に検査行ってくる」って聞いて、そこからこの数日、生きるとは…仕事とは…推しとは…ってだいぶいっぱい考え事しちゃった
で、結局行き着いたのは「病気や今際の際に家族にしてあげられることについて、もっと何かあったのではないか、と死後に考えてしまいがちだけど、本人の生きる力が最後はすべてなんじゃないか」ってこと
これは父が亡くなった時のことも思い出してのことだけど
結局どうすればよかったのかって正解があるものじゃないし…って思ったら、
家族がもっと何かしてあげられたんじゃないか、も不正解じゃないけど、やっぱり本人が最後まで生き抜く・生き抜いたってたことだけは正解でいいんじゃないかなって
そう思えたら、父が亡くなった時から十数年ずっと持ってたふわっとした疑問も、今母が調子悪くて闇雲に心配になってるのも、なんかちょっとストンと落ち着いたというか…冷静になれたっていうか。
@__Kix3 そうか〜、今まであまりに「自分と違うのになぜだろう〜」って理由づけにこだわってしまってたせいで、恋に限らず人を好ましく思うことの良さ、とか、宇宙の魅力、みたいなものを感じ取ってる自分のこともろとも切り離してしまってたかもしれない〜。
接し方が異なるけどそれそのものはとても良いものだ、ってちゃんと自分は感じることができてる、ことを失念しかけてたかも。明後日ちゃんと話して初めて気づけたかも。
これは𝑩𝑰𝑮感謝です本当に、、!
@__Kix3 あ!わたしも自認はアロマンティック・アセクシャルなので、その矛盾について(恋愛・性愛描写は鑑賞も創作もできる)は自分でもどういうことなんだろうな〜って思ってたんだけど、そうか宇宙に行ったことなくても宇宙の話描けるんだわ…あと他人事だから楽しめるわ…って割と大きめの気付きを得た、ありがとう!
@__Kix3 わーい!招待ありがとう〜〜よろしくね〜!🙌