知らんけど、応用行動分析って怖いよな。少なくとも私の肌にはまったく合わないわ。発達障害が「直せる」ってその定義に矛盾するだろ。不登校は「直す」ものではないよ。ヤバ過ぎ。

「直せない行動の問題は、ない」 闘う心理学者・奥田健次さんの怒り:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASS8210S0S8 #

@zpitschi

これのっけから酷いですね
軍隊みたいだって思いました
直す...って考えていることこそが、なんだかとても驕っていると思いました

@moran_aoki @moran_aoki

私の言葉を使わせてもらえれば、とても「万能的」で幼い世界観だと思いました。熱血系の人のようなので非常に危険です。

しかし、はるか昔のことなのでうろ覚えですが、昔々、内山登紀夫さんのクリニックのTEACCHのセミナーに通って習っていた時に応用行動分析についての説明をサラッと受けた気がするのですが(もしかすると違う場所で習ったのかも)、確かに応用行動分析自体の発達障害に対するスタンスってこんな感じだったような印象があります。彼らは「直す」んですよね。「怖っ!」と思った記憶が…。

@zpitschi

すごく怖いですね
これは発達障害の人の生きにくさを「社会に適応するように矯正して直す」という意味ですよね
精神障害界隈でも認知の歪みや社会に対する恐怖心などを「直す(治療する)」という試みがなされる場合がありますが、私はなんだかおかしいと感じていて(森田療法も変だと思ってます)
もちろんわたしは患者にすぎず、専門家ではないのでわからないのですが、社会へのかかわり方で生きにくさがだいぶ軽減されるという経験をしているので、常に変わるべきはひとを生きにくくしている社会の方だと思ってしまいます

@moran_aoki

私は個人の「治療」をしている側なので、「常に変わるべきは社会の側だ」だと仕事にならないんです。笑

(例えばインセルのように自他の未分化な人の「治療」は「あなたは悪くない。社会がみんな悪い」では済みません。もちろん「あなたが悪いやとも言わないけど)

だからもらんさんとは違うとは思うのですが、ただここで短い文章で(500字は十分短い)説明できることがあるとしたら、その個人の「社会との関わり方」みたいなものがかなりおかしくなっていて、それで実際に苦しいことになってる人は少なくない…というか、そうでない人はいないくらい…だと私は思っているので、そこにアプローチしてる感じですかね。

ただそのアプローチは私が「直す」と言うものではない。「治療」という言葉と矛盾しているけど。

今の日本では社会に目を向けられる人自体が少ないので、そう言う人が仰るように「これは社会の問題だ」と思えるようになったら、それは「直った」ことの一部かも知れない(個別性があるので一律には言えないけど)。

話は逸れるけど、それより私が気になっているのは発達障害の過剰診断で、それこそ社会がおかしいだけなのに「適応出来ない(当たり前)」健康な人が障害ありと「診断」されている気がすることなんですけどね。

@zpitschi

専門的なことまでお話ししてくださって恐縮です
ありがとうございます
私の方こそ、話題の根幹にかかわる部分を逸らして話してしまったと思います
ご容赦ください

社会が変われば、と書きましたが、いささか大げさですしおいそれとは変わらないとは思うのですが、自分もまた社会を構成している一人なので、自分のかかわり方を少しだけでも変えていくと楽になるし、ひいては社会が少し変わることに繋がるかなと思っています

確かに、社会とのかかわり方で苦しくなっている人をよく見かけます
精神障害にせよ発達障害にせよなんらか他の生きづらさにせよ

ただ、社会/身近な人々とのかかわり方や接し方が少し変わるだけで、本人の生きづらさが軽減され「良くなる(という言い方も語弊があるかもですが)」ことも多々あるかと身近な例から感じています

発達障害の過剰診断については、長年障害者支援に関わって来た方が同じ疑問をおっしゃっていました
私も同感です

@moran_aoki

>社会が変われば、と書きましたが、いささか大げさですしおいそれとは変わらないとは思うのですが、自分もまた社会を構成している一人なので、自分のかかわり方を少しだけでも変えていくと楽になるし、ひいては社会が少し変わることに繋がるかなと思っています

そうなんですよね。個人が構成して出来上がっているのが社会だし、社会と個人は互いに影響し合って、卵と鶏みたいに、関係し合っているから、良い社会を作るのも個人だし社会からの影響を免れないのも個人。

それと同時に、精神分析的に言えば、心の中の内的な世界と、外界も、同じような関係性にあって、どっちが原因でどっちが結果だと簡単に言い切れない。

分かりやすく言えば、荒んだ心の内面世界を持った人々が構成する社会は、外的な現実も実際に荒んでしまうと言うのは、割と誰でも容易く想像できるのではないかと思います。

それが「投影同一化」。心の内側が現実の外側の世界を変えてしまう。その逆また然りです。

その互いの影響のし合いの「力動(ダイナミクス)」で世界は動いている。

フォロー

@moran_aoki

精神分析的な「治療」は、個人がそこに豊かでその人の人生にとって「本人の望む生産的な」(側から見てお金を生み出すとかの意味ではない「生産性」)心のありようを持てるようにする手伝いみたいなものだと私は考えています。

多分、この私の理解は、一般的に私の周りにいる同業者よりも余計に社会への関心の色合いが濃いですが、もちろんそれは私が誘導することではないので、患者さんの向かいたい方向についていっているだけなんですけどね。

治療者(転移的には両親)への怒りは、その人にとっては個としてのその人の自己主張の産声ですから、自信を持って目一杯治療者をボコボコにできた人は、その延長で社会の中で権利を主張して、当然の怒りを発露出来る人になっていくのだと私は思っています。

日本人は基本、親子が密着していて、あなたと私が違うことへの恐怖が強いので、それが難しい。それは権威や権力との一体化や馴れ合いや忖度などの今の社会の弊害の元になっている気がしています。

あなたと私は違うし、仲良しでもない。

でも、大丈夫。

それでも世界は壊れない。

…と言うような感覚が大事な気がします。

@zpitschi


あなたと私は違うし、仲良しでもない。

でも、大丈夫。

それでも世界は壊れない。

ああ、この感じ、わかります
私も親子密着から自発的に逃れたひとりでもあります
自力でそれができにくくなっている人、気づかないまま怒りを持っている人が多いのですね

@moran_aoki

統一教会とか、日本会議とか、自民党とか、共同親権大好きDV男とか、要はそれに耐えられないんですよね、きっと。

だからあんなに死に物狂いで、国民や女の自由を奪おうとしているようにしか私には見えません。

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