WWII中の戦場撮影班の責任者の一人はシチリア系移民のF.キャプラです。
キャプラは1939年に『スミス都に行く』を撮ります。これは地方の政治家のダム建設をめぐる不正、とそれと戦う「素朴なアメリカ人」(J.スチュアート)という典型的な「ニューディール」映画。
当初は脚本家が共産主義者であり、内容が「反米的」である、として上映禁止の可能性大、だったのですが、WWII勃発により、ニューディール+反ファシズムに揺り戻しが起こり、ぎりぎり上映できたものです。
「フィリバスター(議事妨害)」と言う言葉、日本では安倍政権の頃からポピュラーになったように感じますが、連邦議会で追い詰められたJ.スチュアートが最後の「あがき」として行うのが「フィリバスター」です。
そして日を跨ぎながら「フィリバスター」を続け、疲労困憊し今や倒れんとするところに、「デウス・エクス・マキーナ」が訪れ、相手側の「不正」は暴かれる、というストーリー。この時期の米英が、基本最後はHappy endが規則。
この頃は保守のJ.フォードでさえニューディール映画『怒りの葡萄』を撮りました。
しかし、ハリウッドのニューディール派はWWII後の「赤狩り」によって厳しい立場に追い込まれていきます。