啓蒙の大切さを説く人がいた。その人曰く、啓蒙を否定するのは反知性主義なのだという。もちろん私も先人により積み重ねられた学術の知識、集合知というものへの敬意は持つべきだと思う。しかし一方で愚かな大衆は偉い知識人の見識をふし拝んで受け入れろ!というような物言いには反発を覚える。それは大衆が当然に抱く権威への反発なのではないか。
ときに、この年末に私は初めてspy×familyというアニメを見た。しかし、初めの方を見損ねたので、物語の基本設定がイマイチ飲み込めなかった。そこで、spy×familyが好きだという中学生の姪っ子が遊びに来た際にどういう話なのか教えを乞うたのだった。「そんな事もわからないの?」と蔑まれつつ教えてもらったのだが、その時思ったのは、他の点では人生の先輩である私の方が知識があり私が教える側になる事が多いが、子供向けアニメについては子供の方が断然詳しいのだからこちらが膝を屈して教えを乞う側になるわけだ。啓蒙ってそういう事ではないのかと思う。お互い詳しい分野と詳しくない分野があり、自分が詳しいことについて教え合うことで集団全体の知性が高まっていくのが理想像だろう。それが理想通りにならない理由は、愚民は知識人の権威の前にひざまずけと言わんばかりのインテリの上から目線にもあるのではないか。