asahi.com/articles/DA3S1581438
>ある夜、食事中に突然激高して「天皇陛下の馬鹿野郎」と叫び、酒の入った杯をたたき割った。砕けた陶片が拳に刺さり、血が噴き出した。
そんな父は、筒井さんが17歳の春に急死した。母は病死と言ったが、筒井さんは父が亡くなった晩、偶然母宛てのメモを見ていた。一緒に温泉でも行きたかった――。そう書いてあった。「私は、自殺だったと思っています」
>酔うと人が変わり、戦場の話をして子どもを怖がらせた。「天皇をブッタ斬ってやる」とわめきながら帰宅したり、線路を枕に寝込んだり。家族関係に亀裂が入り、母と離婚。最後は泥酔して車を猛スピードで運転し、事故で亡くなった。

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こちらがより詳細な内容の完全版。12月13日 12:56まで。ぜひ読んでほしい。
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>男性が数人、兵隊に引き立てられていた。大勢の見物人の前でうつぶせに地面に寝かせられ、頭を台の上に載せられる。兵士が大きな刃物で首を切り落とす。最後の写真は、生首がいくつも転がっていた。
異国の服を着た男性たちに、兵士が銃剣を突きつける写真もあった。父の日常風景を撮った写真の合間に、そうした戦争の写真が何枚も貼ってあった。異様なアルバムだった。
その後、何が起きたのか、はっきりとは覚えていない。
父が、玄関戸のつっかえ棒を握りしめていた。何度も、何度も殴られた。頭をかばった腕が、みるみる腫れ上がった。
「やめなさい、死んでしまう!」という母の悲鳴。そんな断片的な記憶だけが残っている。
>一度、母に貧乏の理由を聞いたことがある。「戦争で悪いことをしたから軍人恩給はもらわないと、お父ちゃんが言うからよ」と言われた。

日本が侵略した先で虐殺した被害者の中国人や朝鮮人。
戦争体験に耐えられず死んでいった加害者の元日本兵。
責任者の天皇は自分の手で人を殺さなくても臣民が何もかも代わりにやってくれるからPTSDで苦しむ事もなく原爆の話もヘラヘラ笑ってできる。この不均衡。

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