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おはようございます。

本日は「秋を何度も経て、月を眺められるようになりました。闇路にあるという五十才頃をどうして歎くことがありましょうか」という歌を新古今和歌集から。
これは慈円47歳の時の歌だそうで、「五十(いそじ)」は今の「アラフィフ」のような使われ方だったみたいです。
ということは三十路はアラサー…?

急に涼しくなってきました。体調崩しやすい時期ですが、皆様どうぞご安全に。

9/25 No.467
秋を経て月をながむる身となれり五十(いそぢ)の闇をなに歎くらむ

前大僧正慈円 新古今和歌集



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