海底の坑道には、今も183人の遺体が閉じ込められている…82年たっても政府が調査に後ろ向きな理由 山口「長生炭鉱」の犠牲者と、戦没者との差
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“当時、日本は朝鮮半島を植民地支配し、戦争が拡大するにつれ不足する労働力を補うため、朝鮮人を動員していた。宇部市史によると、長生炭鉱では多くの朝鮮人が働いていたことから、「朝鮮炭鉱」とも呼ばれていた。
水非常(みずひじょう)と呼ばれた水没事故が起きたのは、1942年2月3日午前だった。坑口から約1キロの沖合で、坑道の天盤が崩壊。海水が流れ込み、中にいた朝鮮人136人と、広島や沖縄出身などの日本人47人が死亡した。”