今日はこれを読み返していた。

「差別はたいてい悪意のない人がする」著者インタビュー 無自覚に他人を踏みつけないためにできることbook.asahi.com/article/1453208

『差別はたいてい悪意のない人がする』hiroshimapeacemedia.jp/?p=1401

9章 みんなのための平等
 “差別をめぐる緊張には、「自分が差別する側でなければいいな」という強い欲望、ないしは希望が介在している。ほんとうに決断しなければならないのは、それにもかかわらず、世の中に存在する不平等と差別を直視する勇気を持っているかという問題である。”

 “差別や抑圧が、日常の中の無意識で偶発的な習慣、冗談、感情、用語の使用、固定観念などによって成り立つ場合が多いことを考えると、アイリス・ヤングの言葉通り、やたらに人々を批判するのは難しい。「それにもかかわらず」とヤングは、「無意識的で、意図しなかったことでも、抑圧に寄与する行動、態度に対して、人々と制度は責任を負わなければならない」と言っている。ここでの「責任」とは、自分が無意識的におこなった行動を省察し、習慣と態度を変えなければならない責任を指す。”

侮蔑は楽しい。
『差別はたいてい悪意のない人がする』otsukishoten.co.jp/book/b58588

 “トマス・ホッブスは、人は他人と比べて自分のほうが優れていると思うとき、プライドが高まり、気分がよくなって笑うようになると説明する。だれかを侮蔑するユーモアがおもしろい理由は、その対象より自分が優れているという優越感を感じられるからである。”

 “集団間の関係においても、同じような現象があらわれてくる。人は自分を同一視する集団に優越感を持たせる冗談、すなわち自分とは同一視しない集団をこき下ろす冗談を楽しむ。もしも相手の集団に感情移入してしまうと、その冗談はもはやおもしろくなくなる。あくまでも相手を自分と関係のない人、あまりたいせつでない人だと想定しているからこそ冗談を冗談として楽しむことができるのだ。相手の集団に対してネガティブな偏見を持っている場合はどうだろうか。決して自分とは同一視せず、むしろ距離を置こうとする集団に対する侮蔑は、みずからの属する集団の優越性を確認できる、楽しい経験になる。”

4章 「冗談を笑って済ませるべきではない理由」

ブラックフェイスの話
『差別はたいてい悪意のない人がする』otsukishoten.co.jp/book/b58588

“すべてのユーモアが優越理論で説明できるわけではないが、ある種の笑いが、このような恥ずべき内面性から出てくるという事実を否定することもできない。ある集団を笑いものにするユーモアは、このような集団心理によってつくられる。そのため、「なぜおもしろいのか?」という質問は、「笑っているのはだれか?」という質問に置き換えられる。黒人の扮装を見て笑う人は、自分をどんな集団と同一視する人なのか。笑わない人たちは、どんな位置にいる人なのか。”
4章 「冗談を笑って済ませるべきでない理由」

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悪口とは相手のランクを下げること、という指摘に通じていると思う。

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