岸田首相がウクライナ訪問の際、ゼレンスキー大統領に「必勝と書かれた大しゃもじ」を贈ったという記事。

全く文化の違う国に「飯しゃもじ」を贈るという相手側の「?」が見えるようなプレゼント、しかも「必勝」とは。

サッカーの試合じゃあるまいし、戦争で死者が出ている国に「勝て」と応援する愚かさ。殺し合いを煽ってどうするんだ。

一国の首相としては信じられないほどの愚行。

digital.asahi.com/articles/ASR

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Zelenskyy 大統領は日本に話しかけるときには日本人にわかるギリギリの内容に調節した話し方をしているので,それだけを聞いて誤解したのではないか,という気がします.

あるいは,日本文化には「必勝しゃもじ」くらいしかないというのが本当のところなおではないかという気もします.これは,災害でたくさんの人が毎年のように亡くなっている国ということで考えると不思議な気もしますが,「勝つ」という動物的な本能に身を委ねることで勝手に,かつ気楽に生きて行ける,ということなのかもしれません.

すみません、「日本人にわかるギリギリの内容に調節した話し方」というのがあまりよくわかりません。

Zelenszkyy 大統領のスピーチを全部聞いているわけではないですが (ドイツに向けたスピーチについては,要点はだいたい全部耳に入っていると思いますが),彼のスピーチでは受け手の文化圏で理解のできる内容や歴史観を意識して組み立てられていることが多いと思います.例えば憲法9条が日本にどのような制約を加えているのか,ということもきちんと理解した上で,話していて,日本にむけて演説するときには,これに抵触するような要求をしたりすること最初からないと思います.彼の周りにいる Berater の人たちが時々直接インタヴューに出てきたりすることもありますが,非常に優秀なティームがサポートしているように思えます.
また,自由ということに関しても日本人がヨーロッパ人ともアメリカ人とも違う理解の仕方をすることや,一神教の宗教の国とは違う世界観を持っていることなども,ちゃんと押さえた上で話しているようにおもえます.もちろん,サポートの要求をしなくてはいけないわけなので,相手に歓迎されることだけを言っていればいいわけでもないわけで,「ギリギリの内容」と言ったのはその意味です.しかし,その際の踏み込みの度合いについても相手の文化依存で正しく調節しているように思えます.

「踏み込みの度合い」と書いたことも,念のため補筆させてください.たとえば,Zelenskyy 大統領は,ドイツに対しては失礼な批判ととられるかもしれない言い方を何度かしています.Zelenskyy 大統領が批判的な言葉を言わなくても,Andriy Melnyk がドイツの駐在大使だったときには,Malnyk がすごくダイレクトに (ほとんど完璧な,とても高尚な,でも習ったドイツ語だとわかる) ドイツ語で批判的なことを言って,Zelenskyy 大統領がそれを引き戻すというパターンで外交上は普通には言わないような批判をドイツに対してしていた時期もありました.しかし,同じようなことは,日本に対しては絶対にやらないと思います.これも政治家たちを含めた決定権を持っている人たちの Inteligenz の評価を正しくしているからでしょう.

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