都内で行われる親戚の結婚式で両親と祖母が上京してくるのだが、宿に関して

・祖母の部屋は親戚が手配
・両親の部屋は自分たちで手配

というかたちになってて、祖母を一人で泊まらせるのは流石にということで自分が祖母に連れ添って宿泊することになった。

それ自体はありがたいことなんだけど、よく考えたら結婚式用のスーツ&土日に宿泊の準備ってことで、結構な大荷物にしなきゃいけないのを完全に失念していたため、これから荷造りである。

結婚式の「正装を身にまとって、特定のプロトコルに沿った振る舞いをする」という行為に楽しさは覚えるが、それはそれとしてどたばたって感じ

祖母と二人で夕食とったところ、亡くなったおじいちゃんの昔話になった。

祖父筋の親族は、地元じゃ名の知れた一族だったらしい。戦国時代に存在した城名を自分も名字として受け継いでるくらいだ、歴史としては相当なもんである。前世紀の時点でも駅前一帯の土地を所有していたとことで、大阪への上京時に父親(自分のひい祖父ちゃん)に家を建ててもらったとか。すごい話である。
が、自分は祖父筋の地元に行ったことがない。自分が生まれた時点でじいちゃんは実家筋と絶縁に近く、大伯父(祖父のお兄さん)の葬儀に父を連れて帰ったのが自分の知る限り唯一の交流だった。
三男坊に生まれた祖父は若い頃に地元から大阪に出てきて、大阪で祖母と結婚した。大体60年代くらいだろうか。地元を離れた三男坊という辺りに何か事情があるのだろうとは思っていた。
(続く)

で、今日判明したのは、若い頃の祖父がそこそこのボンクラだったという事実である。

じいちゃんはとにかく働かなかったらしい。働かないにも色々あるが、父が生まれた後の時期に勤めていた会社へ二ヶ月出勤せず、借金を給料と偽って祖母に渡していたというエピソードは格が違う。子持ちの身でやっていいことではない。
話しぶりから推測するに、それが発覚したのはじいちゃんが家に帰ってこなかったのがきっかけだった。祖母が会社に赴いて欠勤の事実が判明し、祖母は父を祖母方の実家に預け、じいちゃんを探しに天王寺のジャンジャン横丁に探しに出かけたという。昨晩泊まっていた小さな旅館を探し当て、将棋を見物するじいちゃんを見つけたはいいが、帰路の電車はもうなかったから旅館に連泊することになったらしい。借金をしている身で!
祖母はなんとか生活を回すためにお好み焼き屋で生計を立て直し、並行してじいちゃんの本職である紳士服店も立ち上げたのだが、旦那はやはり働かないので祖母が紳士服から婦人服に店の方針を切り替えた。ある会社の下請け仕事を自分で見つけてきて、なんとか父と叔父を育て上げたとのことである。
(続く)

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自分にとって祖父は「孫をかわいがってくれる優しいおじいちゃん」くらいの認識でしかなかったのだが、それはそうと実家との縁が切れてたり、実家筋が裕福なはずなのに祖父母の年金は払ってない程度には生活に苦労した話だったり(なお、叔父は幼少期親戚の家に預けられて育った)、祖父周りのエピソードは色々不思議に思ってたのだ。
この話を聞いてる間、自分は始終笑い転げていた。あまりもの衝撃に笑うしかできなかった……。 

祖母は祖母で、こんな話今さら息子たちにはできないし、笑って聞いてくれるのがありがたいとは言ってくれた(内心どう思ってるかはともかく)。しかし、苦労したのだなぁ、ホント……。

それはそうと、谷林のサボり癖がまさかじいちゃんからの遺伝という可能性が浮上してきたのが一番の衝撃だよ。

ちなみに、ここで書いてる祖父母は父方の話で、母方の祖父母(祖父は縁が切れており、消息不明)に関しては同じくらい波瀾万丈という気配がしているのだが、断片的に聞く限り深掘りするのが躊躇われるのでまだ深くは知れてない。
とりあえず、「これはお父さんにもお兄ちゃんにも話したことないけど……」という前置きで母から一度だけ聞いた幼少期のエピソードが壮絶で、好奇心だけで聞ける話ではないと判断している。

ただ、こういう家族の歴史が自分にもあるのは我ながら結構な驚きがあり、どこかで何かのかたちにして記録に残しておきたいという気持ちはあるんだよな。

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