祖母と二人で夕食とったところ、亡くなったおじいちゃんの昔話になった。
祖父筋の親族は、地元じゃ名の知れた一族だったらしい。戦国時代に存在した城名を自分も名字として受け継いでるくらいだ、歴史としては相当なもんである。前世紀の時点でも駅前一帯の土地を所有していたとことで、大阪への上京時に父親(自分のひい祖父ちゃん)に家を建ててもらったとか。すごい話である。
が、自分は祖父筋の地元に行ったことがない。自分が生まれた時点でじいちゃんは実家筋と絶縁に近く、大伯父(祖父のお兄さん)の葬儀に父を連れて帰ったのが自分の知る限り唯一の交流だった。
三男坊に生まれた祖父は若い頃に地元から大阪に出てきて、大阪で祖母と結婚した。大体60年代くらいだろうか。地元を離れた三男坊という辺りに何か事情があるのだろうとは思っていた。
(続く)
自分にとって祖父は「孫をかわいがってくれる優しいおじいちゃん」くらいの認識でしかなかったのだが、それはそうと実家との縁が切れてたり、実家筋が裕福なはずなのに祖父母の年金は払ってない程度には生活に苦労した話だったり(なお、叔父は幼少期親戚の家に預けられて育った)、祖父周りのエピソードは色々不思議に思ってたのだ。
この話を聞いてる間、自分は始終笑い転げていた。あまりもの衝撃に笑うしかできなかった……。
祖母は祖母で、こんな話今さら息子たちにはできないし、笑って聞いてくれるのがありがたいとは言ってくれた(内心どう思ってるかはともかく)。しかし、苦労したのだなぁ、ホント……。
それはそうと、谷林のサボり癖がまさかじいちゃんからの遺伝という可能性が浮上してきたのが一番の衝撃だよ。
ちなみに、ここで書いてる祖父母は父方の話で、母方の祖父母(祖父は縁が切れており、消息不明)に関しては同じくらい波瀾万丈という気配がしているのだが、断片的に聞く限り深掘りするのが躊躇われるのでまだ深くは知れてない。
とりあえず、「これはお父さんにもお兄ちゃんにも話したことないけど……」という前置きで母から一度だけ聞いた幼少期のエピソードが壮絶で、好奇心だけで聞ける話ではないと判断している。
ただ、こういう家族の歴史が自分にもあるのは我ながら結構な驚きがあり、どこかで何かのかたちにして記録に残しておきたいという気持ちはあるんだよな。