Twitterを見ていると、泉房穂発言の登場頻度が日増しに高くなっているのを感じる。
それは、泉房穂を(都合よく)使っているマスメディアの力が大きいのはもちろんだけど、泉房穂側もマスメディアを(都合よく)使いこなしていて、この“共犯”関係は非常に嫌な感じがする。
泉房穂に使いこなされているのはTwitterも同様で、どういう言動が“ウケ”るか、今どういうメッセージを出すことが(自分の存在感浮揚に)効果的なのか、ちゃんと計算して(少なくとも計算しようとして)メッセージを発している感じがする。
テレビでの発言も(見てないから想像だけど)いろんな計算が働いているのだろう。
今日は、テレビでの石原伸晃とのやりとりが盛んにツイートされていたけど、己をアゲるための“失言”を伸晃から引き出すことなんて雑作でもないんじゃなかろうか。かいかぶりすぎかな。
いずれにしても結果としては、今日も今日とて「国民のため」の発言をして、それが政権批判のツイートに引用され、Twitterでの露出が増える。これをやっているのが泉房穂というのがしんどい。
同じ泉でも、泉健太の「それを言うことが何のためになるの? どこにどう響かせようと思って言ってんの?」と思うツイートの数々とは、その計算の有無(あるいは巧拙)という観点においてえらい隔たりを感じる。泉房穂の露出が増えれば増えるほど、これを実感して腹立たしい。
野党は、マスメディアがどうにかサゲよう、どうにか足を引っ張ろうとしているという点で自公維新や泉房穂に比べるとものすごい差をつけられており、テレビの電波を泉房穂のようには使いこなせない、ということはもちろん考慮する必要がある。
ただ、そんなことは今に始まったことではないし、TwitterやYouTubeや自分とこのメディアは自由に使えるのだから、ちゃんと計算したメッセージを思う存分のせて発信すればいいじゃない、と思う。「マスメディアは揚げ足取りばっかりする」「マスコミは切り取りだ!」と言いたくなるような状況があるなら特に。
その計算がうまくできていないのはマスメディアのせいじゃないでしょ……