サッカーの試合は見ていないが、1ミリ問題についてVAR判定は道徳的に間違っていると唱える主張がある、という記事を読んで大変興味深く思います。ルールというのは人間が考えたものであるから、根底に当然境界の揺らぎのようなものを持っていて、別の文化や視点に曝されたときに限界が照らし出されたりするように思います。
道徳的に間違いだという主張は、1mmでもラインに触れていれば有効という考え方は、逆に1mmでもはみ出ていれば違反という見方を可能にしてしまうので、それ自体を根拠とすることには限界があるのではないか、という問題告発です。確かになー、と思いました。もしこれが1mm触れているから罪に問わないということなら美談となるし、1mm触れているから罪に問うという話になれば厳しすぎるという批判は簡単に出てくるでしょう。今回は、人間と罪ということではなくて、人間同士の勝ち負けに関わることだから、1mmの倫理的意味が対立する立場間で容易に逆転するという話。
だからVARではなく、人の手=審判に委ねるべきなのだということは重要な指摘のように思いました。ルールは人間のためにあるんだもんね。
かなりのこじつけだな。人間のやる事にはミスが付きものなので、より公正にジャッジするためにVARを使っている。文句言ってる人はサッカーの素人なんじゃないの?誤審でどれだけの選手が泣いてきたか。
QT: https://fedibird.com/@daikaku/109455525690098943 [参照]