壊れ方によってはひとまず社会生活に支障が無い、あるいは壊れていることを自覚することができないというだけで誰しもどこか心の健康を壊してはいるんだろうと思う。精神の全き健康というのは肉体のそれよりは定義が難しいものだろうからひとまず支障なければ“健康”ということにはなる。だけどどこも壊れていない訳じゃない。壊れてたとしても一生顕在化しない人もいるしなんかのきっかけで顕在化する人もいる。
その考えでいくと“健康で文化的な最低限度の生活”というのは何も福祉だけの問題じゃ無くその社会全体が健康で文化的でないと実現できない課題なんだと思う。できるだけ壊れないようにすること、壊れても支障なく生きられる社会であることの両方が必要になる。