いや、国家神道と神道は別の宗教で、神道には教義も聖典もないので、個人のなかにしか信仰のあり方は規定できない。集団としてなにか主張をする場合は主張している個々人の政治運動であって、そう主張していないけれど神道を信仰しているひとの主張は規定できない。主語を切り分けましょう…
集団を規定して、属する人たちの内心や行動を決めつける行為、それは差別であり偏見ですよ。セクシュアリティや民族や人種や階級では理解しているのに、宗教だとどうして理解できないんでしょうね
宗教はべつに人間を救わなくてもいいと思うんですよ。だって宗教持たなくても生きてるし。どんな信仰を持っていても、だれもそれを変えたりコントロールはできない。目の前の人が主語として何をしたかを考えましょう。その人は誰かを侮辱したり傷つけたりしたのか。
理解できなくても、目の前のひとを受け入れられるようにするのが文学だと思う(理解できるようにするのが学問だと思う)ので、みんなで文学を作り、読み、一緒に勝とうぜ。
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