今、しんどい人は無理して読まないで!
私は20年以上ロリータファッション着てて、始めた頃も、既に働き始めてたので、この年で着てもいいのかな、でも着たいな、という感じでおずおずと着始めた記憶がある。
ryuchellは同じジャンルでもないし、出てきたのも、私が都心に頻繁に通ってトレンドを追っていた時期より後なので、遠巻きに見てる感じではあったけども。
服飾のオタクにとって、着たい服を着ることは、すなわち生きたい様に生きることでもあるわけで、そういう意味では、性別や年齢の違いを超えたところで、親しみを持って見ていた。
そういう人が、こんな形で亡くなったのを見るのは辛い。こんなのは、殺人じゃないかと思う。
あの子はわたしだと。全ての、着たい服を自由に着たい、生きたい様に生きたい人への暴力の、その犠牲にあの子はなってしまった。
今、しんどい人は無理して読まないで!
服装への社会的な制限は、歴史的にも人を抑圧し、体制に服従させる手段として、ずっと使われてきた。
人を人の下に置いていることが分かるレッテルとして、特権階級が一目で分かる目印として。
だからこそ、人が好きな服を自由に選んで着ることは、それだけで、こうした抑圧に対する抵抗になる。
それ故に、体制に服従して限定された安全を享受したい人たちからは、体制の破壊を目論む者として敵視され、あからさまな暴力の対象になる。
そういう仕組みが背景にあるので、トランスの問題は、ずっと私にとっては「自分ごと」でもあった。でも、この数ヶ月、周りを見回していると、多くのロリータさんにとってはそうでもなかったことに、がっかりしているし、強い危機感も覚えている。
今、しんどい人は無理して読まないで!
だから、私はトランスヘイトを少しでも弱め、拡散を止めていかなければと、ちまちま色々書いてはいるのだけど、人の恐怖心というのは本当に強い力で、一度立ち上がってしまうと終息させるのは容易ではない。
そんな訳で、私はこの件を一人の人の死だとは思えなくて、全ての自由を志向する人への暴力の発露だと思って受け止めている。
私の古巣、ロリータファッションも市場規模が大きくなってしまって、初期からみるとその精神には変質していると感じる部分も増えている。男性の目で定義されるルッキズムから解放されたアジールだったはずが、アイドルの衣装になっていたり、ブランドやモデルさんがクールジャパン事業のような自公政権の事業と10年以上の関係を持つようになっていたり。
今、しんどい人は無理して読まないで!
この構図も、若いときはロックだと思われてたアーティストが、権威主義的な発言をするおっさんになってしまうのと、よく似てるなと思うんですよね。結局、一種の老化なんだろうか。
長くなってしまったけど、私はこんな暴力を許したくないし、一人でもずっと抵抗していたい。みんなに好きな服を着て、生きたい様に生きてほしい。それを妨げてくる奴に負けないでほしい。今しんどいなら、無理はしなくてもいい。負けるが勝ちという言葉もある。元気が出るまで休んで、でも心は折らないで。
大体、右翼も宗教も、不景気になると流行る熱病なので、貧乏神に憑かれてやがる、と思っときゃ大丈夫です。自分でなりたい自分を定義できる俺たちは強い。社会の方を変えていこう。
今、しんどい人は無理して読まないで!
商売をしている人にとっては、そりゃ使えるものは何でも使うというのも分かるんですよ。
でも、ここ10年の自民党のやり方を見ていると、クールジャパン事業なんて、売れてる業界の方が自民党にいいように使われている様にしか見えない。
こんな、人を抑圧して奴隷化していくことを暗に目的にしているような連中に使われている「ファッション」て何かな、と思うようになって、私は大きなイベントには行かなくなってしまった。