レヴィナスの言う他者は、特定の他者ではなくてもっと抽象的・概念的なものだとは思うのだけれど、けれど同時にレヴィナスはエロスのこと、愛撫のことにも言及しており、やはりそれは他者を「愛すべき存在」「愛おしい存在」として描写しているように思える。具体的な他者の顔に垣間見える抽象的な他者、という構図なのだとしても、しかしやはりレヴィナスの言う「私」は「他者」の裸形を見るし、愛撫をするので。それは愛おしさからそうする、もしくはdésirゆえにそうするのであって、そのようなものを抱かない相手(つまり他性の気配を感じないような他者)にはそれをしないということなのかなあ、とどうしても思ってしまう。通りすがりの人の顔に他者を認めたりはしない訳だよね。
一対一の、わたしとあなた、の関係で結びつくような他者についての話をしているからかもしれない。通りすがりの人とは、わたしとあなた、の関係にはならないから。
必ずしも恋人である必要はなくて、友人同士や親と子供とかでもあり得るなぁと思うが、一対一の真剣な、そして個別的な関係である必要があるのは確かだな。
様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。