射精責任、途中まで読む。ある程度「見識」のある男性なら特に差別に関する知識や意識がなくともコンドームはつけているのではないか、と考えると、この本で「怒られる」男性たち=本文中で例として引き合いに出される男性たちは相当なアホなので、たぶん彼らにはこの本は響かない気がする。もちろん、ある程度の「見識」(ここで言う見識とは「ぼやっとした常識」程度のもの)がある男性がさらに理解を深めるのにも役立つので、無益ではない。
おそらく本書を批判的に言及する者はある程度以上の知識や意識がある者で、だからこそ本書の軽率な部分について指摘をするのだけど、編集および訳者がそれを一律的に跳ね除けてしまったことで、余計な問題を生じさせてしまったように思える。くわえて、本書(おそらく原書自体)の持つ(少々)煽動的なスタンスを版元側が加速させて売り出してしまったことも、個人的には首を傾げる部分である。たくさん届けたい読まれたい、そうなるべきだ、という思いは理解できるが、こと「反差別」を目的とする本に関しては、数よりも質、つまり「どのように届くのか(=読まれ、理解されるのか)」のほうを重視すべきであり、そこを無視してしまっているように思えてならない。
反差別の実践が別種の差別(排除)を生んでしまう可能性について理解しているのなら(顕著な例としてトランス差別があるのはすぐに思い浮かぶはず)、その実践のありかたや仲間内でのエンパワメントの方法に対して慎重になる必要があることも理解できるのではないか。過激な主張をするな、みたいなことではない。過激な主張・方法と「別種の差別(排除)を生み出さないこと」は両立するはずなので、それを目指そうということ。
そのようなことを念頭に置いたときに、著者がモルモン教徒であることを言及したほうがいい、という指摘に対して軽率に拒絶を示したことは確実に間違いだったし、その後の争いは編集や訳者と批判者の枠組みを超えて多くの者に影響を与えてしまっているわけで、その争いがもたらすエンパワメントと嫌悪感が、果たして「望まない妊娠をなくすこと=女性差別をなくすこと=あらゆる差別をなくすこと」という目的にかなうものになるのかは疑問だし、たとえそれが叶ったとしてもその過程で新たな差別/問題を生じさせるのなら、やはり無批判に喜べるものにはならない。
入門書であるならばなおさら、正確な知識を丁寧かつ慎重に伝えるような中身にしないといけないとも思う。その点、本書は物足りない。わかりやすくするために出される「言い換え」としての具体例が雑な場合が散見されるので。セックスするときにはコンドームをつけるのが大事、だなんてこともわからないアホな男性に読まれるべきだと考えているのなら、つまりまともな知識に「はじめて触れる」者を念頭に置くのなら、もっと慎重に言葉を選び、別種の差別に繋がりかねない言及が生じないようにすべきだと思う。そういうことを怠るから、エンパワメント!!だけで構成された本を読むことによってトランス差別するようなフェミニストが生まれてしまうんじゃないだろうか。本書及び原著者はトランス排除的なフェミニストではないようだけど、あまりにも「男性こそが!」ばかりだと不安になる。本書が「スタート」になる初心者、変な方向にいかない?的な不安が。
読了。解説にはモルモン教徒であることの言及はあるものの、それだけなのでそのことがどのような影響を著者の議論に及ぼす可能性があるのか、については触れられていない。ここは明らかに足りない。少なくとも、ここで言及できないのであればSNS上での専門家の指摘を拒絶すべきではない。参考文献として積極的に紹介すべき。
解説まで読むとそれなりにいい本になる。全部が全部酷い本だ!みたいなものではない。当然だけども。(本書の弱点や課題点についての言及もあるので、褒め倒しの解説ではない)
だからこそもったいないと感じる。売り方が。あるいは作り方が。せっかく「わかりやすい」本になっているのだから、そのわかりやすさ=批判的に見るべき点の多さを逆手にとって、さまざまな観点からの批判を含めた議論の場としてこの本を「編む」こともできたはずだから。中絶の議論のポイントを女性の身体(=プロライフかプロチョイスか)から男性の問題へとずらすことは意味があるものだし、なにも知らない男性の目を見開かせるための「わかりやすさ」もある。だからこそその先に行きたい。
この本のスタンスは大雑把に言うと「男!!無責任すぎるだろ!!これからは責任持てよ!!女!!みんなよくこんな酷い状況に耐えてるよ!!偉い!!これからはもっと男に責任持ってもらおうな!!」であり、このわかりやすさが利点ではある。しかしこれは危うさも同居させている。読み手によっては「こんなに酷い状況にあるのだから労られるべきだ」的な受け取り方をしてしまうかもしれず、そういった観点から実践される反差別は「どちらがより辛い環境にあるか」を競うやりかた、つまり「自分より辛くないお前は後回しでいい」という〈反差別〉のありかたを生み出すことになりはしないだろうか、ということ。そういうのはあかんですよ、ということも指摘するような本の作りにすることもできたはずで、そのあたりが非常に危うい。
つまり、クールダウン要素をもっと多めにいれたほうがいい、ということ。やはりこの結論になる。バズらせるのはあかん。バズらせて売っていい本じゃない。原著者が本国でインフルエンサー的な立ち位置にいるらしいことも含めて、なるべくしてなったことかもしれんが、それでもやはり迂闊ではある。少なくとも、外部からの批判は拒絶してはならないでしょう。それは冷静であるべきとか理性的であるべきとかそういう類の「弱者の口を塞ぐ」とされるあれこれとはわけて考えるべきものだ。