『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か』読了。ごっちゃに時に恣意的に使われている言葉をこれほど丁寧に区別し説いてもなお、常に相対的(どっちもどっちとかではなくそのときどきの力の勾配やインターセクショナリティによって変わりうるという意味)でとても難しく感じられ(文章はとても平易でわかりやすいのに)、まさに本書の中で言及されている「社会とは皆で取り組む命がけの挑戦(a cooperative venture)」なのだと思う。薄氷の上で、好むと好まざるとにかかわらず見知らぬ他人たちと手を繋いでそろそろと歩くような想像をした

これは現代思想や哲学に対する私の偏見のせいもあると思うのだが、言葉上だけの議論のように感じられて語りの立場がわかりにくい感じがしたりもしたのだけど、最後の12章で私の中でそれがカチッと定まったので、もしかしたら12章からあとがきにかえてまでをまず読んでから他の章を読み進める読み方もありかなと思う。私は1回では理解したとは言えないのでまた読み返したい。理解するというか、もちろんその時その時常に考え耳を傾け続けなければならないのだろう

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しかし今のX/Twitterに代表されるようなSNS上で、他人を害することを積極的な目的とした悪意が横行している状態をこれまでの政治哲学者は想定していないかもなと思ったりもした。無理もない。読みながら言葉上だけの議論のように感じるときがあったと書いたけど、それも今現在の特にSNSの言論状況が悪意に満ちすぎていてぜんぜん追いつかないような気がしたからだと思う

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