私は、けっこうな幼少時から漫画のファンクラブ会誌の同人誌とか、ミニコミやテープトレーディングで情報や音源をやりとりするインディロックとかで育った子供で、のちに網野本で日本史に興味を持ったのも手伝ってか、こういう趣味の領域の自前で勝手に規模を膨らませていく場の話みたいなものは今も割に気になる。
現代、唯物論史学は史料誤解の元凶とされて怒られがちだが、網野も一緒くたにして怒らないでほしい。
そもそも元からいる多様な人間、悪党が自由に動いて、アンダーグラウンドシーンが発達し、後醍醐天皇のようなメジャー媒体が掬い上げブレイクさせる、今にも通じる現象を、歴史の中から見つけてきた偉人だから。
英米(あと日本の一部も)のインディロックやファンフィク界は、自分たちのシーンは情報民主主義によっていると自覚してるのが一般的で、こういう姿勢とSNSやかつてのGoogleの情報フリー化方針のような極左志向はけっこうつながっていて、Twitterはそういうのに適した場だった。
特殊な本屋、レコード屋、ライブハウスの掲示板や、雑誌の募集欄がもともとそのプラットフォームだったんだけど、SNSがとってかわり情報のやりとりやコンテンツを大規模化させた。楽市楽座やな。経済恩恵を大きく受けがちなのがコンテンツホルダーやフォロワーではなくプラットフォーマーなのもちょっと似てる。
Twitterの規制のせいでこういう意味でも減衰してんな…とか思ってたのとつながって徒然考えてたよ…
※歴史ネタを挟みましたが正確性は保証できません。アミノを誤解してたらおこられだからTwitterでは呟けない話だが、論旨は察してね