フォロー

「野党に政権への意欲がない」、は報道しか見てないならそう見えるでしょうなぁ…。地元紙の信濃毎日新聞の昨日あたりの社説でも「選択肢たり得てない」という意味のことが書いてあった。

立憲ウォッチャー(🔰だけど)から見ると、この「野党にやる気がない」「選択肢ない」は長年にわたってガチガチに強化されてしまったテンプレと映る。思い込み、偏見の域。それを作り上げているのは報道と、あまりいいたくはないが受け取る側。
「きちんとできないなら、とっととこっちに政権寄越せ」は立憲の人たちは国会の内外でいつもつよく訴えている。ネクストキャビネットもある。政策も、ビジョンも十分に整っている。(ホームページわたしも全然全部は読めてないけど)(コラ!読みなさい)
なぜ、伝わらないのか。議席が少ないからだよね〜。影響力も国会での存在感も示しようがない。そして議席を与えるのは、自分たち市民だよね。市民として力を与えてないのに、野党が強くなるわけないよね。なのに、「野党はだらしない」か。それは政権与党へのアシストにしかなってない。維新と同じ、やってる事は「第2自民党」、維新と!同じです!
自覚はなくても投票は野党にしてても、「野党はだらしない」系を発信しちゃう人は、政権交代ではなく、自民党にマシになってもらいたい人。

「市民が意思表示できるのは選挙だけ」に、ほとんどのリベラルの人たちは同意しないと思う。そうならば、選挙以外の期間に何をどう発信するかは、それも政治への意思表示ではないだろうか。投票以外にできる政治参加はデモだけじゃない。普段の発信で、さんざん「野党はだらしない」を強化しておいて、選挙の時に無党派に投票しろ投票に行けと言ったって無理に決まっている。
どれだけ痛烈に自民党を批判しようと、自身は野党に投票していようと、投票に行けと言っていようと、代わりに政権を任せようとする野党を知ろうとしないのなら、それは政権交代を望んでいることになるのだろうか。

昨日のラジオで、フリーのジャーナリストの方が政治資金規制法のザルさを滔々と熱く語っていたが、立憲が企業献金の廃止を掲げ、改正法案も提出していることには、1ミリも触れない。そういうことだよなぁと思ってしまう。
リベラルの最後の良心のようなラジオ番組でさえこうなんだよ。
cdp-japan.jp/news/20220603_377

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。