ストーリーに触れてるので一応cw
オープンエンド自体は、表現の形としてわたしは悪いものではないと思う。物語の中での救済が、現実の問題の救済に繋がるとは限らないのだし、結果が希望のあるものか、残酷なものかは明示されず、鑑賞者の中にくすぶって残るのはありだろう。
そこは好き嫌いの範疇で語ればいいかなと。
わたしは湊のお母さん、保利先生の立ち位置に居るので、身につまされまくる。
二人が、ひっくり返った電車の泥水溜まった窓を必死で擦るシーンは、すごい表現だと思った。カメラは車内側から撮ってるんだけど、掻き分ける手が見えてもすぐまた黒い泥に覆われる。
流れ込む泥水は、あちら(マジョリティ)側。そこで救いになろうと頑張っても、内側からは光明が見え隠れするだけ。
そして二人がようやく窓を開けても、子どもたちはもう見つからない。母ちゃん痛いですよ…
マジョリティには、この痛い体験が必要だと思う。現実で大事な相手を失う前に映画体験でできるなら、やはり観るべき、と思う。