北斗信仰について引用メモ。
#光る君へ
「その信仰方法にはいろんなものがあったわけで、北斗の字を朱書することや、 剣に七星を描くこともその一つであったろう。なかでも、最もオーソドックスな信仰方法は「四方拝」であり、それは、道教教典 『北斗本命延生経』などに記載されている。(→)
https://fedibird.com/web/statuses/112110902145876050
四方拝は次のようにして行われた。清涼殿の東の庭に屏風を八帳立て三つの座を設ける。北斗七星を拝む座、天地を拝む座、そして山 (父母の)を拝む座の三つである。まず北斗七星を拝む座で天皇の生年にあたる星の名が七遍となえられる。その星の名は次の通りである。
子年貪狼星 丑亥巨門星
寅戌禄存星 卯酉文曲星
辰申廉貞星 巳未武曲星
午年破軍星
「『続日本紀』の霊亀元年(七一五) 八月の条によると、左京の人で大初位下の高田首久比麻呂が霊亀を献上した。その亀は、左目は白く、右目は赤い。 頸に三公 (に相当する星文。 三公とは北極星の左右にある三つの星)、背に北斗七星の文様があったとある。この年の九月から年号は和銅から霊亀に変わるが、それにはこの献上された亀が関係あるらしい。(→)
〈青斑石鼈合子〉これだな。拡大すると反転した北斗七星が甲羅上に見える。「蛇紋岩製での形を彫り出して蓋として、腹の部分に八稜形の皿が収まるようになっている。鼈の両眼は深紅色の琥珀をはめ込んでいる。…甲羅には、北斗七星を反転した形が金と銀で描かれている」 https://shosoin-ten.jp/info/treasures/000284/
「目の色や頸の星文よりも、北斗七星の文様が、とりわけ注目されたのではなかろうか。奈良・正倉院宝物の一つに、スッポンをかたどった容器 「青斑石鼈合子」というものがあり、その背に北斗七星が金泥や銀泥で描かれていたことが、近年の科学調査で明らかにされており、この献上した亀と何か関係がありそうだといわれ、当時の北斗信仰 を考える手がかりとなる」(同)