本屋メガホンさんに注文してた『透明人間さよなら』が早速届く。
「ゲイに生まれて嫌だなと思う瞬間は、自分が発した言葉で大切な人をこの世からいないことにしてしまう瞬間だ。」(本文より)
自分のセクシュアリティを隠すということは、自分の大切なパートナーの存在を『透明』にしてしまう、いないことにしてしまうこと…。
(ここに書かれているような行動や出来事だけではなく、おおくのマイノリティが自分自身の属性に立ち向かうことを他者や同属性から要求されることは多々ある)「本人」でないひとからすれば「なぜ戦わない(表明しない)」という声をかけられてしまいそうな消極的な行動をさせているのはこの差別が蔓延している世の中ゆえである。
そしてその行動によって、「ないことにした」罪悪感でさらに苦しむのは本人であって、「ないことにさせた」世界ではない理不尽。
全ての当事者が自分自身の思考を言語化したり、行動したりできるわけではなくて、それを読み・見、自分自身の苦しさや置かれている不当さに気づく人もいるだろう。声を上げる勇気を持たなくても、「まず一日、生き延びる」勇気につながるだろう。
わたしはその勇気をもらいました。
本の装丁はアクリルプレートの表紙、トレーシングペーパーの本文。二個の目玉クリップ。
本を「綴じている」かつ、「透明でない」のは目玉クリップだけで、それは「見ろ」という表明でもあり、社会によって透明人間にさせられてしまったゲイカップルの「二人」の可視化だと思った。