主に読書の備忘録
新約聖書神学(ハーン)四冊、
せめて半額になってくれれば……欲を言えば三分の一……!という気持ちがだいぶある。
今日は健康のためにランニングを敢行し、
見事に転倒し、
膝を擦りむいて、重症というほどでないし、軽傷だろうけど、結構血が出ました。
少なくとも健康ではないです。
これが本当の本末転倒や!
またツイ禁チャレンジや!ということで、ツイ禁に挑戦。(明らかにTwitter触る量を減らすor無くすと本の読めるページ増えるのわかってるけど、なかなか長続きしない)(依存症……!)
旧約聖書読み終わりや!ってことで山我哲雄『聖書時代史 旧約編』をちゃんと読むかーとぺらぺらめくり始めたけど、面白いなーってなってる。(初見で読むのにこれくらい前提知識あった方が楽だろうけど、聖書読んでから読んだ方が多分これ楽しいやつじゃない?感ある)(ジレンマだ)(聖書二回以降読む場合、ジレンマじゃなくなるね?)(新約に進ませてくれ……)
ヨナ書、完全に類型が例のアレって感じで笑ってる。(なんかこう鯨に食べられる系のやつですよ)(これよりも遡れる「元ネタ」枠なんかあったりするんかね?)
小噺としてなんかこれだけ尺も導入もやたらエンタメ度高くない?
<5 万軍の神、主が地に触れると、 それは溶け去る。 そこに住むすべての者は喪に服す。 地のすべてのものは、 ナイル川のように持ち上がり、 エジプトの大河のように沈む。
アモス書、もしかして一番ドリトライっぽいシーンか?これ。(旧約聖書自分で読んで「あ!これドリトライで見た気がする!」になるオタクが過去も未来も少なそうなので共感得られなさそう)
メモ ホセア書
7 わたしは彼らに対して獅子のようになり、 豹のように道端で待ち伏せる。 8 子を奪われた雌熊のように彼らに襲いかかり、 彼らの胸をかき裂いて、 その場で雌獅子のように食らう。 野の獣は彼らを引き裂く。
クソガキがハゲ煽りした結果、文脈は全然違うけど八つ裂きにされたエリシャ熊使役惨殺事件を思わせるな?(クソガキ、やっぱりこう、驕り高ぶってるのが良くない!って判定だったのかな)
ダニエル書、ちょいちょい人が死んでもしかして私今探偵小説読んでます?ってなった。
ダニエル書、明らかに知恵文学より「名探偵」っぽいのなんなん?(殺人が起こらない「日常の謎」ものって感じだ)
ダニエル書、明らかにテキストがさっき書いてあったことと整合しなくない!?になってる。(旧約聖書だと割とあるやつだ)(同文書内で別の伝承が一つになってんのか?みたいなアレが旧約ぼちぼちあるの、味)
旧約聖書で一番読んでてつまんないの内見だと思ってるので、エゼキエル書で神殿の描写始まったときにウゲ〜!またかよ〜!と思ってしまった。(ソロモンの神殿についての描写が面白くないので当然こっちも面白くない)(いやまあ描写の重要性はわかると思うが……)
旧約聖書、律法のあとに預言書がきた方がどう考えてもバランスが良くない?(コヘレトが黙示思想意識して書かれてるよね?これ?とか諸々)ってなるやつ、ユダヤ教の本文配列の方が納得できるというか、なんで七十人訳聖書はこういう配列なんでしょうね?(キリスト教的に重要なテキストが先に来てる、とかなら話はまだ簡単だけど、七十人訳の作成のタイミング、そういうのではないはずだし……)(そもそも初作成からその同じ配列で後世に残った保証、多分ないっぽいが……)
旧約聖書読んでると、明らかに道徳観が対立してる箇所があるよね?が気になる。
原罪がどうこうとかそういう抽象的なレベルの話ではなくて、
例えば、
ユダもしくはイスラエルの「民族」単位の罪が語られるとき、親から子に罪が継承されてるとしか読めない箇所があるけど(幼子が死ぬのそれ以外にないでしょ)
一方で、親の罪は親の罪、子の罪は子の罪、という形でどう見ても個人に独立して適用されている箇所もある。
ここら辺の文書ごとの性格の違い、多分探せば既存の研究あれこれあるんだろうな〜。
エゼキエル書、旧約聖書って神が人間を壮大にNTRされる話っぽいね?と読んでたので、露骨なNTR例え話が始まって笑ってしまった。(ここら辺、教会を神との結婚というメタファーとして捉える諸々の起源として語りうるやつなんだろうか)(無知)
<17 この方は私に言われた。「見たか、人の子よ。ユダの家にとって、彼らがここでしているような忌み嫌うべきことをするのは、些細なことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている。見よ、彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしているではないか。
エゼキエル書、全体的に異文化描写的なアレが爆笑コント感ない?(ヤハウェとエゼキエルのショートコント)
mastodonなんもわからんので、もしかして自分のトゥート検索できない感じか……?になり、読書メモとして使うのどうなんだろう?に早くもなっている。(ワードで検索できないと見返すとき多分かなりダルくなる気がするが……)
<12 あなたは大麦のパン菓子を食べよ。それを彼らの目の前で、人の糞で焼け。」 13 主は言われた。「このようにイスラエルの民は、わたしが追いやる国々の中で、自分たちの汚れたパンを食べなければならない。」 14 そこで私は言った。「ああ、神、主よ。私は身を汚したことがありません。幼い時から今まで、死んだ動物や野獣にかみ裂かれたものを食べたことも、不浄な肉を口にしたこともありません。」 15 すると、主は私に言われた。「では、人の糞の代わりに牛の糞でよい。あなたはその上で自分のパンを作れ。」
<人の糞で焼け。
!?
<「では、人の糞の代わりに牛の糞でよい。
wwwwww
× 想定するのは
○想定するのが
(文章の編集史とか様式史的な研究も重要なんだろうけど、少なくとも、文書における個々のテキストの『意味』の話するときには、必要に応じて参照されるにとどまるべきなんじゃない……?みたいな気持ち)(解釈の土台として無視されるべきでないとしても)
イザヤ書の初読の感想
他の旧約の文書(例えば歴代誌とかそういうの)も参考に
あのタイミングの預言者である【イザヤが語ったこと】として通時的な歴史が語られてることに(少なくとも文書全体の意味と向き合ったとき)重要性があるんだろうと感じたんよね。
(なので、正典的解釈云々のアプローチ、私の読後感と相性が良さげ)(あまり編集史的な要素を文章読解の次元に読み込むべき必要性を感じていないので)
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