あきひろさんの言う、「『水星の魔女』で大人たちはきちんと責任を果たしているか」というのは正しく倫理的な話だなとは思うんだけど、そういう物語をたとえばティーンのころの自分が面白がれたか、鼻白まずにいられたかというとどうだろうと思うんだよな。物語の子どもたちは実際の子どもたちの代わりに、大人たちに守られず、であるが故に主体性を発揮する存在だっりするからなあ

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『十五少年漂流記』なんかもそういう話だしね。大人たちに守られないがゆえに子どもが主体性を発揮する物語

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