人権(human rights)、人道(humanity)、安全保障(national security)について、いま思っていることの簡単なスケッチ。

人権は法と倫理の言葉で語られる。倫理とは、形式的な言葉でいうと「ダブルスタンダードを排除していくこと」に尽きる(カントの定言命法「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」を参照されたい)。

人権は世界のどこでも普遍的な原則であると宣言されている。人権状況の改善とは、世界に溢れるダブルスタンダードを少しずつではあっても解消していくことだ。

しかしそこには安全保障という大穴が空いている。

そもそも倫理を徹底するなら、敵の命を奪い財を破壊する戦争行為は許されない。「戦争状態である」と宣言したとたん、人権は棚上げされてしまう。

戦時下で最低限の人道が守られるためのルールとして国際人道法がある。武人の情のようなものだ。だが現代の安全保障は倫理なきゲームの言葉で語られる。武人の情すら入り込む余地はない。

私の意見では、世界のダブルスタンダードを解消するには、安全保障の概念そのものを定義し直し、倫理と接続する必要がある。私たちには、新たな「正義のアイデア」が必要だ。

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(上記スケッチの背景として)

国連安保理でブラジルが提案した人道のためのガザ地区での一時戦闘停止を求める決議案を、米国は拒否権発動で潰した。イスラエルには「自衛権」があるとした。

人道——ガザ地区の人々の命や尊厳は、自衛という名の復讐行為に優先しない——米国のバイデン政権はそのように判断した。

これは世界のバグだ。

世界のバグを解消しよう。世界に平和と人権を。

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