税金を払ったり経済に貢献したりする”役に立つ外国人”という言葉のグロテスクさをどうやったら”普通の日本人”も理解できるもんかな、と考えていたのですが。

わかりやすい言葉としては、”役に立つ日本人”かなと。

役に立つ、ということは役に立たない、という概念の対比なわけで。
つまりは”役に立たない日本人”、というとてつもないグロテスクな存在を生んでしまうわけですよ。
その対象がグロテスクというわけではなく、役に立つ、役に立たないという考えそのものがグロテスクで野蛮で幼稚なのです。
ともすれば第二次世界大戦以前の優生学に直結する考えだからです。
みなさん大好きなナチスが代表例ですが、大日本帝国もやってました。
ってか忘れてた、1996年までハンセン病患者などの人々に対して優生保護法のもと不妊手術などをやってましたね。
現行の日本で。

だから、というか、”普通の日本人”の間では”役に立たない”人間、はいなくなればいい、というアイデアも「大っぴらには言わないけれど皆さん同じようにお考えでしょうエヘヘ」みたいな共通認識はあるのかもしれませんね。
だからこそ”役に立つ”、”役に立たない”外国人、などという言葉をつかえてしまうのではないかな、と。

意識を変えるとすればもっと根本からですね。 [参照]

そうなんですよ。日本人自体が、自らに「役に立つか否か」と言う言葉を常に投げつけているんですよ。だから、その言葉のグロテクスさにまったく気が付かないの。麻痺しちゃってるのよ。

そう言う人の心を変化させるのって、めっちゃ大変なんですよ。もう本当に骨の髄まで染み込んでいる「思想」なので、何を言っても「それのどこがいけないんだ?!」って怒り出す始末ですからね。その言葉を自分自身に投げつけて、死にたいと思うほど苦しんでいるにも拘らずですよ。それって割と平均的な日本人の像だと思う。

そう言う人の気持ちが変わって行くのには本当に何年もかかるんだけど。

From: @upasampada
fedibird.com/@upasampada/11050 [参照]

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@upasampada

自分虐めが止まらない民族なんだと思う。

「本当に役に立たないやつだなぁ。生きていて恥ずかしくないのか」と。そしてそれに傷ついて泣いて抗議する自分が出てくると「これくらいのことで泣くのか。みっともない。どうしてお前はそんなに意気地なしなんだ?オマエは抗議できるような立場か?」と揶揄って虐める。

そう言うことを心の中でずっと自分に対してやり続けているんですよ。

だから心を麻痺させて「強く」なろうとする。つらいとか悲しいとか思うのは面倒くさい弱虫だと叩き込まれる。強い人間なら笑顔で乗り切れると。

@upasampada

だから、痛みを訴える人間に対して、共感ではなく、嫌悪感や侮蔑や嘲笑しか感じられない。それは唾棄すべき弱虫の自分自身の姿だから。

@upasampada

私に言わせると、「資本家目線」というよりは、「超自我目線」なんだよな。結局おんなじことを言っているんだけど。

超自我(うんと小さい子どもの頃の自分にとっての厳しい親イメージ、つまり神様みたいな大きな存在)と同一化して、自我(自分)を叱り飛ばしているみたいな心性。

自我が全然育っていない。超自我と同一化しているから、目線だけは超傲慢。超自我に虐められてる自分もいるのに、意識は超自我と同一化して、「オマエナニサマ?」と言いたくなるような上から目線。アンタの本体はそっちじゃなくて虐められて死にたくなってる方なんだけど…と思う。

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