@maple@toot.blue
私は、いわゆる“クソ真面目“も“ヤンチャ“もどっか自分よりも偉い(地位や立場が上という意味の“偉い“)人に、従うか、反抗したり、反抗することで甘えたりするかの話で、基本的に権威との関係だと思うんですよ。
でも大人が(子どもでもそうなんだけど)、自律的な自分という存在として、他者や自己と向き合って、苦悩しながら、自分としての答えを見つけていって、それがたまたま権力のある人と合うか合わないかなんて分からないけど、自分の思った方向に生きようとすることが、本当の真面目だと私は思うんです。
そういう視点で考えると、ただ与えられたルールに従って上の求めるような振る舞いをすることも、わざとそれを破ったり、馬鹿にしたりするようなヤンチャは、少年時代に一時期通過するのは分からなくもないけど、大人になってもそれを相変わらずやってるのは、私はどっちもあんまり“真面目“だとも、“その人らしい“とも思わないところはありますかね。
髪の毛金色でも青でも赤でも構わないけど。
逆に言うと、そんなつまらないところで締め付けているから、いつまでも子どもの反抗か服従かみたいなところで止まってて、自律した“自分“が出来ないのかな?と。