ペットを飼うって、この世で唯一無二で取り替えの利かない相手との出会いがあって(ペットにとっても…多分…)、2度と取り戻せない宝物のような時間があって、でもそれはいつか必ず喪うと言う避けられないお別れがある…から大事なんだと思うんだよな。…星の王子様的なやつ。

それ無くした「超便利ですよ〜」的なものって何なんだろう?第一、多分間違いなく破綻すると思うし。

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そう言う何か苦痛や負担をもたらすものは皆んなない方が良いと言う発想で、「楽しい」だけのつまみ食いが一番美味しいと言う勘違い…意外と多くの人がしている気がする。それってでも人生から「愛する」と言う要素を無くした状態。「愛する」って、本来、面倒臭くて、不便で、苦しいものだから。

ちょっと想像するとわかると思うけど、それ、映画にもドラマにも小説にもならないよ?つまり心には何も響かない生活。無理に作品にするならどんなにシュールなものか不気味なものになるか…想像に難くない。

多分、ペットに対してそう言う発想をナチュラルにしちゃう人って、人間に対しても同じなんじゃないかな。そう言う発想にイマイチ違和感なく「あ、それ、便利かも」って思っちゃう人もそう。結構な数、居ると思う。「人間に対しても」ってことは、「自分に対しても」ってこと。だから、政府に何されても薄らぼんやり右から左に流して生きてるんだと思う。

困ったね。

私がこれを書いている時に頭に浮かんでたのは、是枝裕和さんの「空気人形」のワンシーン。ペ・ドゥナさん扮する自分が生まれた場所を訪ねてきた空気人形に、オダジョー扮する人形の制作者が別れ際に「心を持って良かった?」って訊ねる。ペドゥナさんは頷く。正確に覚えてないけど、「心を持つことは苦しいことでした」って独白が入ったかな?あのシーンです。

しかし、ラノベとかアニメとかマンガにはなり得たりするのではないかと思ったりはする。

リプありがとうございます😊

それらになるとして、どんなテイストになる感じですかね?(これは反論ではなく、実際のところ興味があります)

明るい、割とキャワキャワしたテイストなんだろうか。それともちょっとディストピア感溢れる感じ?どっちもアリな気はするけど…。そう言う需要がかなりあって、特に若い人の間での購買?層はかなり厚い気もします。そしてそれもまた今の世相の反映なんじゃないかと私は想像したりしてます(自分がその分野のものにどうしても食指が動かないので疎いのですが、クライアントの話などでは聞く機会があります)。

ごちうさとかはそういうのに近いのかなぁ、という印象がありますね。

あそこらへんのファンは、「キャラを愛でる」は愛するではなく観察する感覚では、という感じがします。例の紅茶の紙パックに穴を、というのも、遠く観察してるハリボテに命を与える儀式、程度のことなのかも知れない。

その紅茶の話も知らないんだけど、あとでググってみますね。

こんなふうに書いちゃうと、とても否定的に聞こえるんじゃないかと危惧はしますが、敢えて私の言葉で短く書くと、自己愛的、万能的な世界の中の出来事のような気がします。その世界に住んでいるたくさんの若い(と言っても、私から見て若いと言うか)人が、今の日本にはたくさんいるというのも一応分かります。

あれ、違うっぽいな。愛するではなく観察すると言うのはそうなのかな。やっぱり良く理解できていないようです。

さっきは頓珍漢なの見つけてしまって失礼しました。笑
あと、考えるネタをありがとうございます😊
(Twitterで炎上した時は私も叩いていたのにすっかり忘れてました)

“ごちうさ“何それ?と思いましたが検索しました。中身は見てないけど、私がさっき挙げたふたパターンの方の前者に近いんですかね?なるほど。わかる気はします。ペットを飼っても手放しても自由という最初の話の世界と似たような世界のような気がします。それは私から見るとやはり本当にペットを飼う世界とは違う世界線のようですよね。まぁちゃんと中身を見てないので分からないけど。

ともあれ、教えてくれてありがとうございました。


横からすみません。お二人のお話を読んでて、ペットもキャラクターも人間も消費が絡むと愛されて、捨てられて、また新しいものが愛されてなのかなぁと思いつつ、これを思い出してました。「アイドルマスター Shiny Colors 七草にちか GRAD編シナリオ」


ありがとうございます。
他者にそれを求めている人は、自分もまた相手にとってのそのような客体であろうとすると言うか、あると思っていると言うか、そう言う消費財同士の関係性ってありますよね。そういう心の中の世界ってのは誰にでもあると言えばあるし、その表現としての作品は全然アリだとは思うけれど(と言うか自分の現状がそうであればあるほど、自分の中のニーズも高まるものかも知れません。自分の体験を表現として描いて欲しい欲求というか。実際、作品というものは何にしてもそう言うニーズから生まれるし)、現実がそれに呑み込まれてしまう社会や人生はやはり空虚感があるのかなぁとも思う。是枝さんの「空気人形」の中の言葉で言えば「空っぽ」と言うヤツかと。

(返事として噛み合ってます?)

お返事ありがとうございます。

確かに消費する側もなんらかの形で消費されている意識があっての共依存はありそうですね。

「充足してるのでそういうのはいいです」「自己実現するのにリソースを全振りしているので他人を消費するゆとりはありません」と個として独立してる人と、他者と消費するされるに慣れてる人が一緒の空間にいるとある意味地獄ですね。

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