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ただ助演男優賞での振る舞いなど、想定外のところでショッキングなことが起きてすごい衝撃を受けた。

これ、事が知られるにつれて「切り取りだ」とか「恣意的な印象操作」とする擁護がめちゃくちゃ流れてきたけど、中継を観ていなかった人の擁護こそ「切り取ったシーンだけを見た意見」でしかないと思うのだが。
こっちはLIVE放送でずっと観ていて、プレゼンターが登場して受賞者が発表されスピーチをして全員でステージをはけていく様子まで全部見ていて、その上で大ショックを受けたんですよ。

単純に今年のトロフィー授与方法に問題があったのは事実そうなんだろうけれど、しかしLIVEであの瞬間を見ていた時のショックは消せないし、当人の気持ちは分からないが、周りが「偶然だ」とか「あれくらいのことは差別ではない」と矮小化することが一番問題だし、アジア人蔑視だと思う。

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今日のアカデミー賞授賞式、パレスチナへの連帯が示されるか気になって朝からWOWOWの放送を観ていました。
一部の人からでも停戦を求める表明や支持があったこと、『関心領域』が国際長編映画賞を受賞したことが僅かな救い。

横道誠さんら5人の対話を収めた『ケアする対話』を買いに大型書店へ行ったら、何故か手話のコーナーに置いてあった。

福祉分野の書籍って、書店さんが内容を勘違いしているのか、「置く棚が違うのでは……?」と思うことが頻繁にある。
特にタイトルに「ケア」が入っている本は内容とは脈絡のないコーナーに置かれていることがよくあって、勿体ないなあと思ってしまう。色んなコーナーに分散設置してくれている場合は、すごく嬉しいのですけど。

この本のことではないですが、著者がアカデミアの人であっても、内容が専門書ではないエッセイよりの本の場合などには、エッセイの新刊コーナーにも置いてほしいなあといつも思っている。
新刊なのに最初から専門書棚に直行でひっそりと置かれていると、知る機会も興味を持つキッカケも失われているようで残念で。いろいろ難しいのだろうとは思いますが。

マリーケ・ビッグ『性差別の医学史 医療はいかに女性たちを見捨ててきたか』(片桐恵理子 訳)は、もしかするとタイトル等から、トランス排除的なのではないか心配される方もいるかもしれませんが、トランスジェンダーやインターセックスの人々の健康と医療も蔑ろにされていることも含めて、「医学はジェンダーニュートラル」という欺瞞を暴いてゆくエッセイで、男女二元論から脱却しようとする誠実な内容でした。

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3月4日は国際HPV啓発デーだったらしく、子宮頸がん予防のHPVワクチンの無料キャッチアップ接種はあと1年で終了してしまうと知りました。
多くの人がHPVワクチンについての知識を得て、接種を望む人に届いてほしい。

マリーケ・ビッグ『性差別の医学史』で、英国やヨーロッパではHPVワクチン接種によって女性の浸潤性子宮頸がんの罹患率が大幅に減少した10年間の研究結果が示されていた。日本は何故これほどまでに遅れてしまったのか……。

それとHPVの保有・感染は男性のほうが多いにもかかわらず、社会においてHPVが「女性の病気」と語られ、生殖医療は女性だけが責任を負うものとされる問題も示されていた。

「裏を返せば、男性は検査も予防接種も受けられず、感染によって生じるがんのリスクも知らされていない」

会談は昨日ではなく2月28日だった。
会談している部屋のディスプレイには人質を全員取り戻すまで「WE WON’T STOP」と表示されていて、更にわざわざスイカを用意して見せつけて、こんな邪悪で非道なメッセージの発信に日本が積極的に関わっていることが許せない

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外務副大臣がイスラエルへ訪問した昨日の会談の様子を外務省公式アカウントがポストしているのを見たが、出席者たちの手元に水と一緒にカットされたスイカが並んでいて、あまりの邪悪なメッセージに言葉を失った。
本当に本当に許せない

アラスター・グレイ『哀れなるものたち』(高橋和久 訳)を読みました。

語りが入れ子構造になっている原作に対して、映画版では終盤のベラの書簡部分が丸ごとカットされていると知り、ベラの生き様と最後の言葉を読んだ者としてはすごく悲しい……。
ベラがこれまで奪われ続けてきたもの、選択し学び勝ち取ってきたもの、絶対に譲れない願い、それらベラという人間の人生が無かったことにされたように感じてしまう。

映画は未見ながら世界観や表現には惹かれるし、女性の主体性を一番のテーマとして描く物語になっているのだろうとは思うが、映画版がベラを主人公として語り直しているからといって、それをもって「真の意味でベラの物語」と表現されることには強い拒否感がある。
原作で描かれた一番のキモであるはずのベラから見た真実、そのベラの声を奪われたようにどうしても感じてしまって落ち込んでいる。

確定申告について「介護用オムツと同じように赤ちゃん用オムツも医療費控除の対象にしてほしい」という旨の投稿を見ましたが、頷くと同時に、でもそもそもオムツなどの生活必需品は非課税にするべきだよね。

それとこれは実体験なのですが、介護用オムツやパッドを計上するには医師の「使用確認書」が必要なので、確定申告での還付額に対して文章料が高くついたかも……というパターンもあります。
入院時の短期間だけ使用したという方や、毎日までは使用しておらず購入金額が少ない方は、オムツ・パッド代と文章料を比較してからにしたほうが良いかも。

私は祖母が入院してオムツを使い始めた際に「使用確認書」をお願いしたのだけど、そこまでの金額ではなく、さらに使用期間の記載が「年内」だったので翌年もまた文章料が必要になってしまう(自治体やその方の状況によっては使用確認書を翌年以降も使用してOKとも聞きますが)。
やはり課税対象外にすべきだよ……

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松田青子『自分で名付ける』

出産後に区の係の人の訪問を受けた際のこともすごく印象に残っている。
結婚はせずにパートナーと暮らす松田さんの選択と、その松田さんのお宅の雰囲気に対して区の人が言った「なんかこの家、自由だね〜」。区の係の方は快活な人でこのコメントからも嫌な感じは受けなかったそうだけれど、それでも様々な思いがよぎる。

「でも、私は自由に生きているつもりはなくて、いろいろ窮屈に感じていることのほうが多いし、真面目に生きている。制度や「普通」の枠におさまっていないから自由、というのはちょっと違うように思う。
自分の、名字を変えたくない、という気持ちを尊重するためには、「普通」を諦めるしかないのが現状だ。制度のほうが、「普通」の枠を広げたらいいやないか、そっちの「普通」が狭いくせに、こっちにドヤ顔してくんなよ、という気持ちでいつもいるし、同性婚など、他のいろいろなケースにもこれが当てはまる。」

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松田青子さんのエッセイ集『自分で名付ける』を読んだ方は分かると思うのですが(?)、アリ・アスター監督の笑顔を見ると松田さんのつわり経験のことを思い出してしまう。

「いいですか、お前は無力です、とひまわりのような笑顔で監督に言われているような気持ちになった。」
『ヘレディタリー』を観たダメージに被さる、つわりのしんどさの記憶。そして1年後に『ミッドサマー』を調べ倒したこだわりは、つわりの余波だったのだ……のくだりは読後2年経った今もハッキリ覚えているので、新作公開につきアスター監督を見るたびに松田さんの文が蘇ってくる。

『自分で名付ける』は、この社会から押し付けられる規範と抑圧へのモヤモヤを、可視化したのちブッ飛ばすような松田さんの語り口のノリと勢いに、胸がすく思い。
出産や育児の経験の有無とは関係なく全ての人にオススメの最高なエッセイです……!

復刊されるサラ・ロイ『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』(岡真理、小田切拓、早尾貴紀 編訳)は、ガザ地区におけるイスラエルの占領の実態と現在の虐殺に至る背景がよく理解できる内容なので、この本を最初に読んでも良いと思う。

ホロコースト生存者の二世で反シオニストのユダヤ人である研究者のサラ・ロイさんと、徐京植さんとの対談も収録されている。
お二人の対話では加害国としての日本、その意識についても触れられており、読んだ時は自分のこれまでの無自覚さが恥ずかしく苦しくなった。





西村紗知『女は見えない』

タイトルやテーマからの想像に反して、通常のフェミニズムの文脈とは違う形での対象への眼差しと思索で論が展開する。

まえがきとしての提示された「推し」文化の分析(『「貨幣」と「娼婦」の話』)がすごく面白かったので、色んな人に読んでもらいたいな。内容も文も強烈で、脳内でこの著者の独特な文のリズムがずっとリフレインしている。

ただ、私も著者の言うところの「貨幣的な創作物」へ対して不満を抱く一人であるだろうが(「貨幣的な創作物」とは、「人々の願いや主観をそのまま反映させてはいるけれども人々が転覆してほしいと思うものを転覆してくれないもの」と提示されている)、作品とはそういうものであったはずと言われればその通りで(「自分の信念の仮託」を貨幣はやってくれない)、しかし実際のところ私はその作品が批判性を伴わないことへ失望しているのではなく、この世の中で多数派がエクスキューズ無しに受容する様を見続けている少数派の切実な痛みや憤りを「アレルギー的反応」と呼び軽視されたくはない。

ここしばらく短篇集を中心に読んでいた中で、『シャーリイ・ジャクスン・トリビュート 穏やかな死者たち』がすごく豪華なアンソロジーだった。

カルメン・マリア・マチャド、ケリー・リンク、ジェフリー・フォード、ポール・トレンブレイ、ジョイス・キャロル・オーツなど、作家18人の書き下ろしを一度に読めるのが嬉しい!
マチャドをはじめいくつかの作品では、クィアな登場人物が語り手として当たり前に出てくるのも良かった。60代の主婦中間3人がある家を見つける、怖くて悲しいお話『所有者直販物件』も好き。

腕の確かなアンソロジストが声がけして集めた、腕の確かな作家たちの書き下ろし短篇を一冊の中で楽しめるアンソロジーって、めちゃくちゃ贅沢。
絵画や彫刻をモチーフにした、ハーパーコリンズの『短編画廊』『短編回廊』も好きだった。海外のアンソロジー、もっとたくさん邦訳が出てほしい。いろんなテーマのアンソロをもっと読みたいです。

フレドリック・ブラウン『真っ白な嘘』(越前敏弥 訳)

超有名作家ではありますが、これが初読み。
予定調和を外していく構成やひねり方が絶妙で面白かった。どの話も映像がはっきり浮かんでくる。
『叫べ、沈黙よ』の恐ろしさはただ事ではなかった、余韻がすごい。表題作のタイトルの意味にもクスっと。

とりわけ短いにもかかわらず、読んだタイミングもあって『町を求む』が一番印象に残った。オチのラスト数行が強烈。
視点人物である悪党が最後に突然、読者に向かって話しかけてくる。

「この前の選挙のとき、あんたはどうした?」

市井の人々を貪る悪党にとって都合の良いことは何かという、1940年の小説の皮肉な警告。

「なんだって?投票所へ行きもしなかったのか?」

悪党にとっては理想的、Yeahhhhーーー!!なんだもんね。ちょうど昨夜、京都と前橋市長選投票日に読んでいたので、ウワーッってなった。

自民党に相乗りしておきながら泉がぬけぬけと「自民党を終わらせて政権交代」とか口に出したり、いくら党が推薦しているとはいえ辻元議員の松井への投票を呼びかけるポスト内容に朝から目を疑ったが、選挙結果を受けた今は改めて諸々が辛すぎる……立憲民主ほんとうに許せない……

ようやく今年初の書店に行けたので、ドラマも好評で楽しみにしていた、ボニー・ガルマス『化学の授業をはじめます。』を買ってこれた。

『桜庭一樹と読む 倉橋由美子』で初めて倉橋由美子作品を読み衝撃を受けたので、同じ「掌の読書会」シリーズの『柚木麻子と読む 林芙美子』も読んでみます。

昨年末と今日買った本。
◆ボニー・ガルマス『化学の授業をはじめます。』(鈴木美朋 訳)
◆ジェイソン・レクーラック『奇妙な絵』(中谷友紀子 訳)
◆シオドラ・ゴス『メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ』(鈴木潤 訳)
◆西村紗知『女は見えない』
◆佐々涼子『夜明けを待つ』
◆飯田朔『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』
◆『掌の読書会 桜庭一樹と読む 倉橋由美子』
◆『掌の読書会 柚木麻子と読む 林芙美子』

ワニ町の翻訳者の方の、電子ブックへ訳文を無断使用された件についてのブログを読んだがすごく苦しい……
担当編集者のハラスメントはもってのほかだし、その後の会社の対応も何故こんなことになるのか。
訳者の仕事を軽視したり、訳文の著作権を蔑ろにされるような話が耳に入るたびに辛い。本当に出版業界には変わってほしい。

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