WWII後、日本では大学におけるマルクス学が一時(今はほぼ消滅)隆盛を極めた。経済学以外の、哲学・倫理学の世界では、マルクス主義者は研究としては、ヘーゲル、フォイエルバッハ、ヘーゲル左派に向かった。
というのも、マルクスには所謂「哲学」的著作と言えるものはほとんどないからだ。マルクスはある時期から「哲学批判」に向う。
とは言え『資本論』も「経済学批判」であるから、マルクスはいつも既成の体系の批判を反復していたとも言える。
ところで、フォイエルバッハの主著がほぼすべて翻訳されているのは、少なくとも私の院生時代は日本くらいではなかったか、と思う。これは有難かった。
フォイエルバッハを読むと、マルクスの批判がいつもながら、一方的な裁断であることがよくわかって面白かった。
ところで、WWIIのヘーゲル左派の哲学的研究としてずば抜けているのは、廣松渉の批判的弟子であった大庭健さんのマルクス=シュティルナー論である。
すでに亡くなった大庭さんは東大闘争の際、最後の最後まで粘った一人で、分析哲学、数学基礎論、ルーマンのシステム論に通じたずば抜けた秀才だった。世間的にはこちらの方で有名だと思う。
私は立場は違うが、院生の時、随分胸を貸してもらったことには感謝している。
この「緑豆の花」、以前も紹介したような気がしますが、甲午農民戦争をチョン・ボンジュンを中心に扱った大河ドラマ。
つまり、韓国では、これが標準的な日本による植民地化の過程に関する知識と見方、目安になります。
これは日本の近現代史の知識とは大きく異なります。また新書などを読んでも、人物や党派の駆け引きなどが複雑に感じる方も多いと思います。こういう場合、大河ドラマでだいたいの流れを掴んでから本を読むと、くっきりと理解できます。
例えば、高校日本史で習う「観応の擾乱」、これは普通、高校時代の暗記では「なにがなんだかわからない」。この場合も、真田広弘之が足利尊氏を演じた「太平記」を見てから、新書などを読むと、全然違う筈です。
それにしても、この「緑豆」、福澤諭吉と慶応、それに福岡の玄洋社の朝鮮侵略への関わりも描いており、この辺りは高校日本史まででは「知らない」ままになる。
また日本の所謂「アジア主義」の欺瞞性を知る上でもとても重要な視点です。 [参照]
今日は、東京新聞の発刊140周年記念日だったらしい。
そこで、2面に、ドーンと「祝 東京新聞創刊140周年 お祝い申し上げます」と言葉とともに、地平社の広告が出ている。地平社立ち上げの際に上梓された、私の『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』も久々に新聞広告で見た😀 。
12面では東京新聞の140年を振り返る図表、13面では編集局長と文芸評論家の斎藤美奈子さんの対談。
お二人とも「戦後民主主義」をポジティヴなシンボルとして何度も使っている。これは新聞メディアとしては、1960年以来なかったことではないか?ちょっと驚きである。
ここでの「戦後民主主義」は大日本帝国の植民地主義と侵略戦争への反省を意味している。編集局長が「加害責任を曖昧にすると、再び過ちを繰り返すことになる」と。これは他の新聞メディアで見られない文字列だろう。
他にも脱原発、五輪反対、反差別などの方針が明快に示されている。これもなかなかに頼もしい。
ちなみに現在他の新聞は「読売」含め、劇的に部数を減らしているが、「東京」は維持している。つまりリベラル左派支持が首都圏に数十万世帯ある。野田立憲はこの票のほとんど失うだろう。
『地平』が「東京」と連携するなら、一挙にリベラル左派言説が広がる可能性はある。
「暗殺」、「密偵」。
いい映画です。
「暗殺」は今アマプラにはいってます。
・「暗殺」
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ハ・ジョンウ(「1987」、「ボストン1947」)に
お目付役の「じいや」のオ・ダルス(「弁護人」、「ベテラン」)がつきそってでてきます。
(ここがちょっとロシア文学っぽくておもしろい)。
あと、最近「シュリ」を見たという方が多いようなので、
同じ監督の「ブラザーフッド」もおすすめします。
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ドラマは、毎回おすすめしていますが、
「緑豆の花」をぜひ。
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無料分をみて、先がもっとみたくなったら、レンタルやサブスクで最後まで見てください。
現在まで続く、自由を求めて闘う市民の志が伝わってくる作品です。
「暗殺」(2015) ・「密偵」(2016)
日帝支配下の朝鮮・満州・上海を移動する「独立」運動の闘士たちの映画。
決していわゆる「シネフィル」的な映画ではないが、「密偵」(2016)と並んで、2010年代の「韓国」映画の湧き上がるパワーに溢れている。
日本映画・批評の低迷は、政治・社会と正面から向き合ったよい意味での「大河メロ・ドラマ」をひたすら回避してきたことに一因があると思う。無理につくろうとすると、結局山本薩夫や山崎豊子のリメイクになってしまう。
ここでは詳しくは論じられませんが「この世界の片隅で」(映画)の決定的な弱点は脚本の弱さ、というか悪い意味でのナイーヴさにある。
映画は「総合芸術」なので、いくら視覚的に繊細な絵をつくれても、戦争を扱いながら脚本を決定的にダメであれば、少なくとも私は評価できない。
#OtD 24 Sep 1883 during his Address to the National Convention of Colored Men in Kentucky, Frederick Douglass criticised trade unions that refused to organise Black workers. But most unions continued to be whites-only, with exceptions like the @iww. https://stories.workingclasshistory.com/article/9696/f.-douglass-criticises-unions-over-racism?utm_source=dlvr.it&utm_medium=mastodon
やれやれ、立憲民主の党首選、やっぱり野田が勝ったようだ。
このマストドンでもひつこく予測していたことではあるが、これは立憲は次の選挙、もうどうしようもないなー😩 。
野田が「初心を貫いて」維新との共闘を選べば、壊滅的大敗は避けられないだろう。
しかし、野田は民主党政権時代もTPP加盟強行をはじめ、米追従を露骨に表明し、民主党を一度壊滅的大敗に導いた男である。
どうも、この人、自民が窮地に陥った際の「救世主」の役割を果たしているようにしか見えない。
今まで立憲に投票していた人の多くは「非自民」・「非維新」の選好で消極的支持の人が圧倒的。自民よりファシズム度が高い「維新」と組んだとあっては、この票は蒸発するだろう。
実際「維新」が仮に、国政与党になるのでは、何のための「政権交代」はわからない。
もう2年前に死んだ安倍と統一教会の関係を今頃「スクープ」(メディア関係者なら誰でも知っていたこと)したからと言って、影響は限定的だろう。
「リベラル左派」の国政レベルでの結集はまだまだ先のことになりそうである。
とは言え、あまり先の延ばしになると、日本社会自体が内破(implosion)してしまう。
ここらが忍耐と同時に機動力が必要となる所だろう。
ところで、スパルタカス君は、自分のことを「極左、ヤクザ、サラリーマン、ウヨクに影響を受けたた」などと変幻自在に自己規定しているが、言葉の上では、なにはともあれ「中道」と見られることを拒否している。
しかし、フランス18世紀啓蒙の研究者でありながら、いざとなると浅田と「エキセン中道」の元祖シェイエスを「よいしょ」している。これは滑稽極まりない。
確かに道化の才能は人一倍ある人だから、まあ、これでいいのかもしれないけれども。
さて、本国フランス革命解釈は、「リベラル中道」F.フュレの修正主義世代の後、現在新自由主義による不平等の拡大を受けて再び平等モメントの再評価への揺れ戻し中。M.アバンス―ルなどは専門の歴史家ではないが、サンジュスト論を書いている程である。
スパルタカス君が度々引用するE.バリバールにしても「平等なしに自由はない」と語っている。どうもバリバールが来日した時にアテンドしたことが自慢らしいが、実はアルチュセールーバリバールから何も学んでいないのではないか?
この調子では、凄い勢いでプロデュースしてもらっていたルソー論もはなはだ心許ない。まだ私は読んでいないけれども。
ご本人は「所謂研究ではない」と予防線を張っているが、ま、いずれ読む=批評することになるかもしれない。
例のスパルタカス東大教授がこともあろうに浅田彰をフランス革命時の「第三身分とは何か」の著者、シェイエスに準えて、「革命家以来の言説」などと阿諛追従をしている。
しかし、集まって来る若者をハーレムに囲い込む浅田は論外として、シェイエスは今日本でも「流行」の「エキセン中道」の元祖とされる人物である。
つまり、シェイエスは市民を「能動市民」と「受動市民」、つまり「上級国民」と「下級国民」に分割し、後者には市民権の一部しか与えないことを提案・実行させた。「能動市民」=一級市民に分類されたのは、かなりの財産所有者の男性のみ。女性全員と中以下階層はここから排除された。
またテルミドールの反動後、暫時の総裁政府の後、ナポレオンによるブリュメール18日のクーデターが起こるが、この際主導権を取ったのは、シェイエスである。シェイエスは、この時ナポレオンに「私の剣となってくれたまえ」と述べたが、クーデター後あっさりと立場は逆転した。その後、元老院議長、ナポレオン帝政下で伯爵。
現在、新自由主義が引き起こす矛盾には目をつぶり、都合の悪いことは全てポピュリズムのせいとし、なにがなんでも「中道」を讃える世界的傾向を「エキセン中道」と呼ぶが、これはフランス革命時のシェイエスの立ち位置から名付けられたものである。
鈴木秀夫(誤)
鈴木英夫(正)
ところで、この鈴木という男が「反中」改憲キャンペーンで持って来るのは、前原の師匠である高坂正堯であるとか上山春平であるとか、必ず京大の人間である。
ここだけ妙に学生時代からの「京大生」意識が連続しているようだ。
高坂と言えば、「俺が目の黒い内はアカは教授に昇任させない」こともあろうに教授会で吠えていた京大政治学の親玉である。
その方は、高坂などより遥かに立派な研究をなされ、ご自分で関西の私大に移り教授になられた。
そもそも、高坂正堯本人が研究と言えるものはほとんどない。頭の悪い右派サラリーマン向けに「指導者目線」で大河ドラマとレベルが変わらない、「読み物」を語っていただけ。
研究者としてだけなら、戦時中「近代の超克」を唱えた、カント研究者、父高坂正顕の方が上だろう。
今日の「毎日」で、京大「ガラパゴス」で石原俊と仲間だった鈴木秀生なる記者が、やや手の込んだ「平和教育」批判をしている。
ちなみに石原俊は自由民主主義体制のための国防軍の必要性を唱えている明治学院教授。これで「中道」を自称しているのだから、これまたまさに「ザ・エキセン」イデオローグだろう。
最初に石原がいる明治学院所属の「沖縄研究者」に「従来の平和教育は「もう限界」、「単調」、「修身然とした平和教育によって主体的思考が難しく」なるなどと語らせる。つい最近も米軍による性犯罪が多発していることを考えれば、この「中立」を装った戯言が狙う所は明らかである。
次は「戦友会」に乗り込んだネトウヨ若者が「従軍慰安婦はいなかった」と主張したことを「衝撃」などと白々しい形容詞で繋いだ後、「若者たちは主体的に思考し、「記憶の継承」をしたかったのだろう、その思いが強すぎたのか。」などと疑問形の寝言で占める。
種を明かせば、なんのことはない、この鈴木秀生という男、石原俊と組んで、ここ数年「反中」の立場から国防軍創設の必要性を延々と「毎日」でキャンペーンししている。
考えて見れば、今日「毎日」は山尾志桜里にも国防軍のための改憲を主張させていた。維新広報部の朝日政治部と並んでメディアの腐敗、ここに極まれり。
Le Nouveau Front populaire retrouve son unité pour dénoncer le gouvernement Barnier : « Il faudra s’en débarrasser aussitôt que possible », prévient M. Mélenchon https://www.lemonde.fr/politique/article/2024/09/22/le-nouveau-front-populaire-retrouve-son-unite-pour-denoncer-le-gouvernement-barnier-il-faudra-s-en-debarrasser-aussitot-que-possible-previent-m-melenchon_6327383_823448.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=mastodon
NPR: Denny Tamaki, governor of Okinawa prefecture, says his personal story is deeply entwined with the U.S. military’s presence on the island.#news #NPR https://www.npr.org/2024/09/21/nx-s1-5120429/okinawa-governor-denny-tamaki
大学を何だと思っているのだろう。
筑波大学、機関投資家向け行動規範受け入れ 国立大で初 - 日本経済新聞 2024/09/20 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC200IJ0Q4A920C2000000/
どうも解散・総選挙に合わせて、マスメディアが例の「石丸」の大広告をしているようだ。
今日も毎日新聞で山尾志桜里が立憲民主を「左翼政党から脱皮してリベラル政党になれるか」と語っている。
しかし立憲民主は民主党時代も含めて「左翼政党」であったことはない。議員にしても主張が「左派」と言える人は参院に一人いるくらいではないか?
真面目に言えば、またまた「エキセン中道」言説、となる。
ところで、山尾志桜里本人は愛知で共産票でぎりぎり競り勝っておきながら、憲法改正を主張しているのだから、「開いた口が塞がらない」とはこのこと。
しかし、この山尾という人、「改憲」に取り憑かれて、WILLやHANADAにも登場しているのだから、もはや「ネトウヨ」レベルである。
しかも「野党は安全保障に弱い」と仰っているが、ご本人は安全保障について「何もご存じない」。
要するにマスコミ的には、念には念を入れて維新との共闘を主張する野田を支援しておこう、ということなのだろう。
ところで、今回の総選挙の争点はどうみても「生活苦」になる。
軍事費5年で倍増、社会保障削減及び保険料負担増の「ネオリベラル」では誰も票を入れない。
むしろ、「ファシズム化する新自由主義」に対する人民戦線が必要だろう。
J.ルノワール『ラ・マルセイエーズ』(1938)。ジャンは有名なA.ルノワールの息子。この映画では、兄ピエールはルイ16世役で出ている。
ルノワールは1930年代、「トニ」(35)、「ランジェ氏の犯罪」(36)「ピクニック」(36)、「大いなる幻影」(37)、ゲームの規則(39)など映画史に残る傑作を立て続けに監督。「トニ」、S.バタイユが主演した「ピクニック」ではビスコンティ、「ラ・マルセイエーズ」ではベッケルが助監督を務めた。
この映画は「人生は我らがもの」と同様、反ファシズム人民戦線への連帯として撮影された。
最初は1789年7月14日、バスティーユ襲撃を知らされたルイ16世が「暴動か?」ー側近「陛下、これは革命です」の有名な場面で始まる。
映画では南仏のプチ・ブルジョアのインテリ、マッソン(石工だが、フリーメーソンの意味も掛ける)、貧農、下層都市民の4人に焦点があてられる。
最後は、共和国の存続をかけてヴァルミーでプロイセン軍に立ち向かう場面で終わり、「ここから、そしてこの日から新たな世界史が始まる」というゲーテの有名な言葉が引用される。
この場面で「自由」=「恋人」の比喩が用いられる。レジスタンス中のエリュアールの有名な「自由よ、僕は君の名を書く」はここから来たのだろう。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年