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 欧州議会選と同日に行われたベルギー総選挙では、中道与党が敗北、極右・右翼が1位、2位となりました。

 第1党の極右は移民受け入れ制限+北部オランダ語圏の分離独立を主張している。
 ベルギーは元来北部オランダ語圏(フラマン)と南部仏語圏(ワロン)を1830年7月革命の際、ドイツ人を国王としてオランダから独立させた人口国家。ちなみに1815年のウィーン会議までは長くハプスブルク帝国領フランドルだった複雑な歴史をもつ。

 独仏の2大体国に挟まれて、ナポレオン戦争のワーテルロー、WWI、WWIIと19世紀―20世紀には常に大戦争に晒されて来た。

 ところで、オランダは、欧州議会選挙で仏、伊、ポーランドと並んで極右が第一党。オランダの極右抬頭の背景には、水島治郎さんの「オランダ福祉国家の光と影」、「ポピュリズム」が参考になります。

 ポーランドは冷戦崩壊以降、格差と貧困の急拡大・社会保障の解体で21世紀に入ってから極右の政権担当はすでに経験済み。

 オーストリアはWWII後、「ナチスの被害者」として扱われたので、非ナチ化はドイツ以上に進まなかった。
 突撃隊の将校だったヴァルトハイムが国連事務総長にまでなったのはその象徴である。
 ここに新自由主義による戦後コーポラティズムの解体が重畳している。

 

 人工国家(正)

 ベルギーが1830年にオランドから離脱したのは、パリ発、ヨーロッパ全土に波及した7月革命のため。この際は、英国でも革命前夜の混沌とした情勢となる。

 英国で1832年に第1回選挙法改正が行われたのは、この混乱への譲歩。

 ベルギーに関しては、当初国民会議はフランス人の立憲君主を希望したが、英国はそれを拒否。フランスとの関係を断つため、ジョージ4世の娘婿をレオポルド1世とした。

 レオポルド1世は甥のアルブレヒトをビクトリアに引き合わせ、アルブレヒトは英国女王の夫アルバート公となる。ただ、ビクトリアはレオポルドの姉の娘、つまり姪であり、キリスト教世界では一般人には禁止されていた「いとこ」婚にあたる。

 さらにビクトリアは娘たちを欧州王室に嫁がしたためドイツのウィルヘルム2世やロシアのニコライ2世は孫になる。

 このため、女性を通してのみ伝わり、男性にのみ発言する遺伝型白血病となる明白な事例となる。例えばニコライ2世の子、アレクサンドル。

 しかし、レオポルド2世及びビクトリア女王は両者とも、帝国主義政策を推し進め、ビクトリアはインド皇帝、レオポルドはコンゴの「所有者」となる。

 コンゴでの何百万人の大量殺戮、強制労働(反抗者は手首を切り落とす)を執行させた。 

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