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「脳科学と動物倫理」

 現在、脳科学がヒトの情動・感情・思考と脳の神経伝達物質、シナプス、ニューロンなどの関係を解明せんとして、猛烈な勢いで研究を進めていることは何度か投稿しました。

 例えば人の短期的な「快楽」は1957年に発見(確認)されたドーパミンと関係づけられます。そして、現在あらゆるドラッグ・行為の依存性の測定に使用されている。

 またセロトニンが不安、抑鬱・強迫に相関していることもよく知られている。

 しかし、哲学者として私がまず立ち止まるのは、このことを「証明」するために、ラットの脳に電極に差し込んだり、チンパンジーを意図的に「抑鬱」状態に追い込むことは倫理的に正当化され得るのか?という問いです。

 人の場合には「人体実験」として禁止されるでしょう。科学の世界では長く、ヒト以外の動物は情動・感情を持たない「機械」である、と見做すことで、「実験」を正当化してきました。

 しかし、例えば18・19世紀の欧州の農民が、自らの飼育する家畜に「情動がない」とは考えてなかったでしょう。動物を飼ったことのある人なら同じ時筈。

 現在では「苦痛」を感じないよう痛覚神経を麻痺させている、と言いますが、それは本当の解決なのでしょうか?

 ここのところを再考する必要があるように思われます。

 

「脳科学と動物倫理」にて、言及した現在の脳科学に対する疑問(否定ではない)は、医学における「研究」と「臨床」の問題にも関わっています。

 もし、仮に「臨床」がなくなれば、それは医学というよりも広く定義された生理学になります。例えば「ノーベル医学・生理学賞」などの名称はそのことを如実に表している。大学病院などは基本臨床よりも研究を優先する。

 私も「ヒト」の一員であるから、臨床のための動物解剖までは否定する立場ではない。

 しかしドーパミンと依存症とのの関係が「解明」されたとして、臨床として新しい方法があるわけではない。

 「運動」が脳科学的に効果的、とされても、それは経験的には当然のこと。これは「神経症」(現在は「oo障害」)に関する運動療法の有効性に関しても言える。つまり、いわゆる「森田療法」と臨床的にはほぼ同じ。

 研究と臨床の関係、これはゲノムにも言えて、「遺伝病」として知られる血友病、ハンチントン病、早老症などはDNA解析で仕組みが解明されたとて、臨床に何かプラスがあるわけではない。

 ハンチントン病などは、それを「知る」ことは「死」の宣告を受けることに等しく、また癌と異なり若いカップルは必ず破局する。

 研究と臨床のバランスは一般市民も考えていく必要があると思われます。 
 

 そう言えば、昨日持病の関係で医院に行った。待合室で夕方の民放ニュースが流されており、それを見ていると、どうも「脳科学」ブーム、完全にTVにまで浸透しているようだ。

 (ちなみに私は高校を卒業してからTVをほとんど見たことがなく、院生になってからは家にTVを置いたことがないので、どうしてもTVの話題には「やや遅れる」。極端な「浮世離れ」と言われたりするのも、おそらくそれが一因だと思われる。)

 その番組では、「上下運動」が脳に「よい影響」を与える、ことが脳科学的に実証された、として「脳科学」専門の研究者(脳科学芸人ではない)のコメントまでついていた。

 例として、軽いジョギングや水中歩行などが挙げられ、キャスターはじめ、「それは初耳」などと一斉に座ったまま、上半身を上下運動。

 ここまで来ると、「滑稽」ではある。典型的に「脳科学」の知見を待つまでもなく、「経験と常識」でわかる例だろう。

 このTVの話は「笑い噺」で済むのだが、最近は東大准教授の脳科学専門の人まで、研究費ほしさに「頭部切断」した脳を冷凍保存し、記憶をAIに移し替えることを「10年以内に可能」などと大嘘をつく時代になったので困ったものだ。

 一般市民の方もマスコミの脳科学言説には警戒が必要だと思われます(脳科学芸人は論外)。 

> どうも「脳科学」ブーム、完全にTVにまで浸透しているようだ。

90年代のTV番組です。

NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体2 脳と心
www2.nhk.or.jp/archives/movies

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