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重化学工業について

戦前の日本の化学産業は事実上、肥料産業。植民地朝鮮担当の野口窒素などはその代表。戦後、石油化学へと転換し、水俣病を引き起しました。

石油化学はWWII中に欧州で開発、戦後欧米で工業化され、1955年から通産省主導で日本に導入。

三井は岩国、堺、泉北、三菱は四日市、水島。四日市は海軍燃料廠跡地ですから、ここでも海軍との関係の深さがわかります。住友は新居浜。

この巨大コンビナート群はまさに不可逆的な形でー公害とともにー日本の「風景」を一変させました。

公害が社会問題化した後、一定の規制が加えられ、且つ国内では採算がとれないので、ある時期からは、海外に進出します(通産省と連携)。三菱はサウジ、住友はシンガポール、三井はベトナムなど。これと共に「公害」を海外に輸出されることになります。

これはインターステイトシステムであるからこそ可能な公害の「外部化」です。もし公害規制がグローバル化されれば世界資本主義は崩壊するでしょう。

ところでは一時「情報産業」への移行が頻りと語れらましたが、日本はこの分野は崩壊。

今度のG7で米韓台の半導体企業に国内に投資をお願いするまでに落ちぶれました。

軍事産業への回帰、日経は「広島の町工場にも恩恵」と賞賛しているけれども。いやはや。

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