明日、ももしきやさんとスペースします。「神回」です。お楽しみに! 朝4:30からです。
今や新型コロナに感染した人がたくさんいて、もう罹患してもしかたがない、という諦めの言葉を耳にするが、はしかと違って何度でもかかるし、感染すればするほど体に深くダメージを与えるということをことあるごとに言っていく所存。
特定の感染症への差別にふれる記載があります
5類だからノーガードで衛生用品外してokとか、どうせみんなHIVとかに対しては思わないわけでしょ。
むしろ一緒に飯食ったり風呂入ったりとか、大抵の人は躊躇うわけじゃん。
ご飯たべるのも風呂も(つまり衛生用品は当然身につけていない状態なのは同じなのに)リスク低いHIV感染については嫌がるくせに、高リスクのコロナはどーでもいいってなんなの?
リスク判断ぶっこわれすぎでは???
国内における年間の感染者数も死者数もコロナの方がよほどリスク高いわけだが、その整合性もないままコロナではノーマスクが当たり前だと思ってる。
クソほどバカくさい。
※HIVはウイルスの名前、それによって引き起こされる後天性免疫不全症候群(=AIDS)は病気の名前、AIDSおよびHIV infectionは、コロナと同じ5類です。
辛坊治郎氏「簡単に止めすぎ」JR計画運休への私見に「無責任男」集まる批判「遭難で救助された人が言っても」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ead0f2c04773936a2b604f591e31836c582a24fc
これは草
NETFLIXの広告付き申し込んだけど まだ広告に遭遇しないのはなぜ
ピンチの博物館に出来る最大の支援はね。
投票なりデモなりで、科学および文化を尊重する政府に作り替えることですよ。
即効性はないけど、根治療法。
クラファンで支援するのは即効性はあるけど、どこまで行っても所詮対症療法です。
万博こそクラファンでやればいいのでは。
キム・スタンリー・ロビンスン「ラッキー・ストライク」(SFマガジン1996年9月号/後藤安彦訳)読んだ。
史実では広島に原子爆弾を投下したエノラ・ゲイが事故により大破し、代わりとしてラッキー・ストライク号が任務に当たることになった。爆撃手を命じられた主人公は、悪夢を見る。原子爆弾を投下されたあとの、地上の地獄のような惨劇を。
彼は機上で苦悶した末、投下のタイミングをずらしてしまう。原子爆弾は広島市街を逸れ、人のいない森へと落ちる。これがデモンストレーションとなり、原子爆弾は犠牲を出さないまま、戦争は終結へと向かう。しかし主人公は、反逆罪で銃殺刑を下される。
彼は、その後彼の名を冠する団体を中心とし、核廃絶を達成する未来を見ることのないまま、処刑されてしまう。だが、彼は間違いなく英雄となったのだ。
一種の改変歴史もの。ともすれば自己正当化されてしまいがちなアメリカの原子爆弾投下に対する価値観のなかで、一石を投じた反戦テーマの作品であり、この時期にこそ読まれるべき名作。
タオルを持ってるか? A Elbereth Gilthoniel!