新しいものを表示

『revisions 時間SFアンソロジー』(大森望・編)

「退屈の檻」(リチャード・R・スミス)が勉強になって、「ノックス・マシン」(法月綸太郎)で爆笑しました。
「退屈の檻」は、ループに適応し始めた主人公に訪れる、ループ特有の悲劇という筋書き。これが最古のループ SF とはたまげた。現代でも読み応えがあると思える骨格がきっちり揃ってる。ループに入るきっかけがループから抜け出せない理由にカッチリとハマっている。適応し始めたにもかかわらず……(むしろそれが「檻」が与える罰)というのが味わい深いですね。
「ノックス・マシン」は、本短編集でも屈指に端正な時間 SF っぽいし、馬鹿馬鹿しさと SF っぽさとの両立ができてたと思うんですが、みなさんはどう思いますか?

『ある日爆弾が落ちてきて』(古橋秀之)

時間ネタの宝庫という感じ! ワンツイスト入れて「時間ネタ」であることを見破られにくくしているのが面白い。「出席番号0番」および「三時間目のまどか」がいい。特に後者。よく考えたらタイムパラドックスが起きるはずなんだけど、読者に考える暇を与えない。短編のスピード感が光る。読者に息つく暇を与えないなら細かい理屈をすっ飛ばせる、 盲点だった。

ループのミニマムな構造は、ループする語り手(一人目)、一人目によって発見されたループする同志(二人目)、そして二人によって発見されるループから脱出するための解法、という三点セット。それで、一人目および二人目によって発見されたループする同志(三人目)がいて、三人目が絡み始めると一気にと厚みが出てくる。

『終わる世界、終わらない夏休み』(あきさかあさひ)

かなり勉強になりました。特に「誰がループするか/ループしないか」を登場人物間で生まれた感情の物語の根幹に据えている点。ここは個人的に悩みどころだったので参考になります。また「どうループから抜けるか」に対しても、ふんわり SF として一定の解を与えている点もポイント高し。
優れたループ SF になるための必要条件の確信を得てきて、ループする前と後とで人間関係が同じだったらせっかくループする意味がなくて、そうすると、ループする人間は一人ぼっちではなくて複数人いなければならない。そして、誰がループしているか(そしてどんな感情を持ち越しているか)が明かされるポイントが一つの山場になる。
ループを跨いだ感情の持ち越しは『All You Need Is Kill』も顕著ですね。というか、それこそが物語だし。

次の本ではふんわり時間SFコメディをやろうと思っているので、今月から再来月にかけて時間SF超々々強化月間となります。

『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』(鴨志田一)
ループものの今作。ループを一種の未来予測として見なすことで、ループの輪を閉じる必要性をキャンセルしたのはテクニカルでした。繰り返しの中で変わる感情/変わらない感情の峻別の付け方に面白味を感じます。行動が変われば気持ちも変わるし、同じ時を同じ人と繰り返せば愛着も深まる――。
「教科書のようだ」と勧められたのですが、その言葉に偽りなしでした。ループの陥穽へのハマり方、感情の変化をキーとしたループの抜け方、ループ自体の辻褄の合わせ方、どれも SF 的にはもっと書き込めたでしょうに、そこは説明過多にならずに登場人物間の気持ち最優先でお話を進めるところにラノベ作家の匠の技を感じました。

『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(鴨志田一)
よしざきがえろざきだった高校生の頃、年上の先輩キャラのが好きだったことを思い出しながら読みました。過剰に熱っぽい主人公、咲太くんの気持ちになってあげるのは難しかったけど、やれやれ系よりはぜんぜん教育的なラノベだと思いました。彼のエロガキ言動はともかく、熱っぽい性格は素直に誉めポイントです。
ライトSF的には、不可思議な現象をすべて「思春期症候群」なる説明不能のブラックボックスに押し込んだ上で、個別の現象に対しては物理のそれっぽい風味の説明からアプローチしてあげる(そしてその説明をきちんとお話の根幹にも繋げる)というのはよく設計されてるなと感心しています。

の新刊『七尾百合子の10冊』の表紙です。この素敵なロゴは、現物では金の箔押しなのでもっと存在感があるよ。文庫98ページと厚みもそこそこにあるので、所有欲を満たす一冊になったのではと自負しています。新刊のみで1000円、既刊とセットで2000円です。
サンプル:pixiv.net/novel/series/1042957
Booth:yobitz.booth.pm/items/4738447
紹介:yobitz.hatenablog.com/entry/20

『難解な本を読む技術』(高田明典)
難解な一冊のための技術というよりむしろ、思想を体系的に学ぶための技術といった感がありました。読書ノートをとる技術を学ぶために読んだんですが、一冊のための読書ノートというよりは、複数の本にまたがった思想のための読書ノートでした。「地図を作る」「読書ノートは外形を作ってから埋めていく」あたりのテクニックが有用か。

とりあえず、これで「ポーの読者」を名乗れるようになったはず。(本当は「ポーの一族」も読みたかったが、体力&予算的に厳しいんでここまで)

スレッドを表示

『大渦巻への落下・灯台』(エドガー・ラン・ポー)(新潮文庫版)
「灯台」が印象に残った。未完がゆえに想像力をかき立てさせる余白があった。「大渦巻への落下」は、漁師というおおよそ当時の科学からは遠かった人物に物理学的な説明をしたところが新しかったのだろう。

『モルグ街の殺人・黄金虫』(エドガー・アラン・ポー)(新潮文庫版)
探偵小説の原型が詰まった一冊。現代の読み手からすると荒削りと思わざるをえないのだが、「黄金虫」は出色。詩的な暗号小説だった。

『それってパクりじゃないですか?』はクライマックスは素直に褒めポイント。ありがちな文書のやりとりで終わる書面審査ではなく、人と人が顔をつきあわせて行う面接審査にしたのはマジでエラくて「知財って冷たい文書だけじゃなくて、人と人がやってるんだよ!」ってエピソードを作るのに貢献してた。

スレッドを表示

主人公が市販の教科書ではなく特許庁の審査基準に少しでも目を通していれば、審査官への反論の第一歩は、引用発明に対して有利な効果があるか、主引用発明と副引用発明を組合わせることに阻害要因があるかを論じていくことから始まることがわかったでしょう。上司が審査基準に誘導せずに部下である主人公に「やってみて」とやるのは、知財のお話としてフェアではない流れだと思いました。
作者は知財でありそうなケースをよく調べているし、教科書的な理解もしっかりエピソードに落とし込んでいる(フツーの人が読む分にはそれで構わない)が、きちんと監修を入れていればそういう細かい瑕疵が減ったのでは。

スレッドを表示

『それってパクりじゃないですか?(2)』(奥乃桜子)
知財関係の方はところどころ首を傾げるところあれどまあまあ読みどころがあった(肝心の阻害要因は気付けよって思うし、中国語に堪能な代理人はお話のために出した唐突感があった)。全体として男女関係が占める紙幅が増していたのだが、そこがつくづく微妙で、全体として微妙な読み心地。
それはそれとして、知財部員には審査基準を読み込んで欲しいですね(これは弊社知財部員への恨み節です)。

『それってパクリじゃないですか?』(奥乃桜子)

知財部のお仕事モノとして良く出来てました。法律上のトラブルとしてありそうなケースを網羅してる印象。男女関係とかその辺のお話は普通……。

『人間の土地』(サン=テグジュペリ)

数年ぶりに再読。何度でも読むに値する書。
この書の小説技法が優れているとは私は決して思わない(何度読んでも比喩にピンとこないところがあるし「人間」の章はほとんど主張を書き連ねるばかりである)。しかし、この書が伝える人間の生き様は、その欠点を補って余りある。僚友との友情、難破に際しての勇気(いま砂漠で苦しむ難破した飛行機乗りたちと彼らの帰りを待つ人々との立場の転倒が面白い。普通であれば前者「を」後者が励ますところを、本書では前者「が」後者を励ますのだ。なんと力強い飛行機乗りだろうか!)、それらが何とも心強い。

『読んじゃいなよ!』(高橋源一郎)
元気になる一冊でした。

『本へのとびら──岩波少年文庫を語る』(宮崎駿)
宮崎駿が真摯に児童文学を語る。キモは、混沌の時代にあってもニヒリズムに陥らないということだと思う。

『苦手からはじめる作文教室──文章が書けたらいいことはある?』(津村記久子)
今すぐに役立つかなと思って読んでみたものの、もっと若い子向けの本かしらね。作文をするための心得集といった感。
実際的には、「書き出し」に関するテクニック──情報量をゼロから徐々に増やしてみる、捻った書き方をしてみる、ゼロ文目を作ってみる、などは明文化されると便利なのがわかる(私自身も使うテクニックではある)。それはそれとして、津村節の具体例が示されるのだが、抽象化されたテクニックからは隔絶した高度なものに見えた。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。