新しいものを表示

「全国にはあり得ないと思える名字の人が…」電話帳で発掘した珍名さん巡りを続ける名字研究家・高信幸男さん(67) : 読売新聞オンライン yomiuri.co.jp/national/2023120

当方が大学時代に所属してた学術系サークルには「尚」「攵」「亀」を組み合わせて一字にした「がめ」さんという女性がいました(金沢出身でしたが、向こうでも滅多にない名字だとしきりにボヤいてた記憶 :blobcatnervous2: [参照]

あたしか さんがブースト

【2023年ベスト展覧会】
今年も残り1ヶ月を切りました。あなたの記憶に残る、2023年のベスト展覧会はなんですか? ぜひご回答ください! アンケート結果は2023年12月末に記事内で発表予定です。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScNjScMuTYyY76fon-cB60xa9qJlqDipgtKz5HyU90bc9iqOA/viewform
今年もベスト展覧会を云々する時期になりましたね。上はTOKYO ART BEATのアンケートフォーム。

ここ数年は京阪神ばっかり(たまに名古屋に出るくらい)な当方ですが、毎年この時期には──何を見に行ったか思い返しつつ
:blobcatnervous2: ──それなりに迷うところ。でも今年はひとつだけ選べと言われたら、国立民族学博物館での「ラテンアメリカの民衆芸術」展一択ですね。これは動かせない

あたしか さんがブースト
あたしか さんがブースト

【本日お救いした文物】メイス『リリカお嬢様に振り回される!』第2巻(芳文社)

あたしか さんがブースト

展覧会めぐり、本日は京都。前場は京都芸術センターを見て回りました

古谷利裕氏による連続講座が来年から始まるらしい(まぁ当方は行けませんが :blobcatnervous2: )──連続講座「未だ充分に尽くされていない「近代絵画」の可能性について(おさらいとみらい)」 inunosenakaza.com/modern-paint

第1回(2024.1.20)はピカソとマティスについて、とのこと──「未だ充分に語られていないマティスとピカソについて」 inunosenakaza.com/modern-paint

東京の空に浮かんだ《まさゆめ》で話題を呼んだ、現代アートチーム・目[mé]の現在地に迫る。『美術手帖』2024年1月号は、目[mé]の特集 bijutsutecho.com/magazine/news

既に発売されているようですが、目[mé]が特集されているとのこと。ところで紙の美術手帖、季刊になって以降は大きい書店でも最近意外と見かけず…… そう言えば前号の特集ってなんでしたっけ :ablobcatgooglymlem:

あたしか さんがブースト

実際に(再)制作された和紙を見てみますと、もとから様々な種類の和紙を混ぜ合わせていることに加え、屋外で漉き取っているので、素材を寝かせている間に落ちてきた葉っぱや虫の死骸なども混ざりこみ、えも言われぬ独特の風合いを帯びている。そうして作られた和紙2.0(和紙2.0?)数十種が今回の出展作の中でもメインを占めていたわけですが、それらが壁一面にあしらわれているのを見ると、それ自体がひとつひとつ絵画であるように思われてくる──というより、《大小さまざまな多種との関わりを自分事として捉える術が、私にとっては絵を描くことだと思う》(ステイトメントより)というのが山本女史の最も基本的な姿勢であるわけですから、絵画を多種との関わりというエコシステムに還元するのは、必然であったと言えるかもしれません。そのようなエコシステムへのコンタクトを、物質自体のリバースエンジニアリングという形で行なっているところに、彼女のクリティカルさが存在する。

既存の生産過程を逆行させて物質に戻していくリバースエンジニアリングは、それゆえ現在の資本主義においてその可能性自体が往々にして争点となります。とりわけそれが可視化されやすいのがIT系でして、(ハード/ソフト関係なく)その可/不可をめぐる巨大企業との権利闘争に発展する場面も多いという。ここではあまり深入りできませんが、このことはリバースエンジニアリングという行為自体に、現状の資本主義における資本と労働、あるいは資本と物質との関係性をめぐって、非和解的な違和が存在することを予感させるものがあります。してみると、山本女史の実践はローテクであるがゆえに、アートにおける、マーケットと非和解的で相対的に自律したエコシステムの可能性を、見る側によりヴィヴィッドに示しているのではないでしょうか。24日まで

スレッドを表示
あたしか さんがブースト

Yoshimi Artsで開催中の山本志帆「山をくずして」展。主に広島を拠点に日本画家(院展の院友だそうで)として活動している山本志帆(1982〜)女史の、同所では4年ぶりとなる個展。今回は昨年gallery G(広島市中区)で行なわれた個展を再構成しているとのことです。

山本女史はこれまで、コンクリートジャングルのような人工的な環境との界面において生息する動植物をモティーフとした日本画を主にものしてきましたが、迎えた今回は、日本画を描くときに出てくる和紙の切れ端や過去の自作を水で溶かして再び漉き直した和紙自体を中心に、その過程で分離した岩絵具や、それらを用いて新たに描き直した絵が出展されていました。絵画のリバースエンジニアリングの結果生成された素材が中心になっていたわけですね。

米英映画「ナポレオン」 フランスから不満タラタラ 戦争の時代、英雄史観に変化も sankei.com/article/20231208-P7

《独裁者が世界秩序を脅かす現代に、「1人の偉大な指導者が国民を栄光に導く」というドラマは時代遅れになったという指摘もあった》──産経にしてはマトモなことを言ってる件 :blobcatnervous2:

というのはともかく、ナポレオン自体、左右問わずフランス人にとっても扱いにくい存在になってるというのはありそうですね。やっぱり穏当にナポレオン・ソロのリメイクにしといた方がゲフンゲフン [参照]

「もっと高みを目指したい」 若きシェフの熱い想いがショスタコーヴィチの傑作につぎ込まれる! - ぶらあぼONLINE | クラシック音楽情報ポータル ebravo.jp/archives/153685

ショスタコーヴィチといえば、かつてとある女性声優が「ショタすこビッチ」と読み間違え、ぉぃぉぃ中の人がズルムケですぞwww となったものですが :blobcatnervous2:

あたしか さんがブースト

かような、レース地やひらひらが多用されたカーテン、あるいは丸型の蛍光灯(昨今の事情を反映してLEDライトに変わっていましたが、まぁ同じことです)といった、一見すると舶来のイメージを強く喚起させるものに見えるけど実は日本独特のものを多用するところに、近年の東恩納氏が何をとらえようとしているかを垣間見ることができます──これらのものは、上述のような出処からしてオリジナルなきシミュレーション/シミュラークルと言うべきものであり、そのようなものが身の回りにごく普通に存在することの不気味さが、手を変え品を変え見る側に提示されることになる。しかもそれは、ミクロな政治性にもかかわってくることになるだろう

一見自然だと思える環境は、何らかの政治性や制度を潜ませているものとして見なされる。あるひとつの性質(例えば白さ)を過剰化させることで、そこに潜むものを顕在化させる》(清水穣「白と黒の揺らぎ:東恩納裕一の『ライト・ワークス』」

しかしながら、東恩納氏の射程は「一見自然だと思える環境は、何らかの政治性や制度を潜ませている」ことを暴露するだけにとどまらない。ここで氏がオリジナルなきシミュレーション/シミュラークルというべきインテリアデザインに焦点を合わせ続けていることに注目する必要があるでしょう。「何らかの政治性や制度」は、それ自体が既にマガイモノであり、従って環境=そこに内在する諸存在がオリジナルなきシミュレーション/シミュラークルであることを否認するところから始まるあらゆる
政治 アイデンティティ・ポリティクスは、日本においては空回りしてしまうことになるだろう──東恩納氏の認識は、昨今の政治がアイデンティティ・ポリティクスというかかる否認の機制に陥っている現状に対する批判となっているのではないでしょうか。過剰に白い光が照らし出しているのは、そのことにほかならない。23日まで

スレッドを表示
あたしか さんがブースト

The Third Gallery Ayaで開催中の東恩納裕一「behind the drapes」展。80年代から活動を続け、蛍光灯を多用したオプアート的なオブジェやインスタレーションで知られる東恩納裕一(1951〜)氏ですが、大阪のギャラリーで個展を開催することはきわめて珍しく、関西では以前から注目を集めていました。当方もそれこそ10年以上前に東京でのとあるグループ展で接して以来になりまして(^_^;

さておき、今回は2フロアにわたって展開されています。先ほど触れたように、東恩納氏といえば蛍光灯を多用した作品がすぐに思い浮かぶところですが、今回は他にも様々な映像やインスタレーションが出展されていました。とりわけレース地やひらひらが入ったカーテンが主題となった作品が多く、近年の氏の関心のありようが割とストレートに表出されていたと言えるでしょう。

2つの監獄、そして監獄からの視点──Now and Then。ある展示とパレスチナ問題に寄せて(文:菅原伸也) tokyoartbeat.com/articles/-/ne

菅原伸也氏による、ハイドルン・ホルツファイント「Kからの手紙」展(2023.10.27〜12.3、アサクサ)展レビュー。あとで読む。

あたしか さんがブースト
あたしか さんがブースト

【本日お救いした文物】思想12月号(岩波書店)、大野光明・小杉亮子・松井隆志(編)『社会運動史研究5 直接行動の想像力』(新曜社)、小田原のどか・山本浩貴(編)『この国の芸術 〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』(月曜社)

あたしか さんがブースト

西梅田の地下街に小じゃれたベンチが配置され、ちょっと座れるスペースができてました。難波駅前に無意味な広場を作るより、はるかにナイス。こういうのでいいんですよ、こういうので

あたしか さんがブースト

アメリカでは70年以上のキャリアがあるにもかかわらず)知る人ぞ知る的な存在であるというカッツですが、そう言えば国立国際美術館が2006年に開催した「エッセンシャル・ペインティング」展( https://www.nmao.go.jp/archive/exhibition/2006/post_130.html )の出展作家の一人として名を連ねており、当方はここで初めて彼の作品に接した次第。同展では1960〜70年代生まれの、欧米におけるいわゆるニューペインティングのムーヴメントが切り開いた「絵画の復権」現象が常態化した1990年代に絵を描き始めた画家たちがフィーチャーされてましたが、そうしたニューペインティングおよびそれ以後の欧米における絵画の一潮流に対する老師的な存在としてカッツが特権化されていたわけでして、かかる史観(史観?)は当時の日本というか関西においてなかなかに画期的ではあったものです。

いずれにしても、依然として元気なおじいちゃんたちのlate styleに接する機会が昨年来続いてきた中で、その極みにある展覧会であることは事実でしょう。明日まで。

スレッドを表示
あたしか さんがブースト

上長者町通新町(京都御苑の近く)にある有斐斎弘道館で開催中のアレックス・カッツ展。アメリカの絵画界における最長老的存在であるアレックス・カッツ(1927〜)、昨年ニューヨークで大規模な回顧展を開いたそうですが、日本での個展は1991年以来だそうです。

今回は今年描かれた新作《Study for Spring》《Study for Summer》シリーズを中心に、1990年代から一昨年までの約30年の間に描かれた人物画も交えて構成されていました。床の間に飾られた大作《Summer 12》(2023)以外はさほど大きくない絵画ばかりでしたが、まぁ御年96歳ですから、大作が一点でも描けることに驚愕すべきなのかもしれません。人物画以外は樹木とカラフルな背景からなる風景画で、座って見ると(江戸時代後期に建てられた)弘道館の中庭を借景することができるように構成されています。まぁ当方が見に行ったときには人が多くてアレでしたが
:blobcatnervous2:

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。