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完全にひとりで生活リズムを組み立てられる暮らしをしている人はともかく、そうじゃない人たちにもどうやったらあんなに映画を見に行けるのか…?という数を見ている人たちがいる、しかもそういう人たちお酒とかもよく飲んでたり本とかも読んでたりする、どういう時空で生きているのか、これは永遠に解けない謎である(わたしがちょっとした時間を全部寝ることに使うことは棚に上げる)

家族とかこどものとことかゲームコミュニティまわりは良い感じの一方、会社や保育園まわりはイマイチなの惜しいな、そんなに戯画化しなくてもいいのにな

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しかしこれ幼児の動きが幼児ー!なのすごい良い

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面白いといえば面白いし面白くないといえば面白くない。不条理といえば不条理だし、筋が通っているといえば筋が通っている。現実と幻視に「どこからどこまで」が存在してない…ので無限に底を踏み抜いていく、長さもあるのでこれはなんの話なんだ…と困惑。劇中流れるほとんどの歌の歌詞の意味がさっぱりわからない。繰り返される突如の全裸。なんなんだこれ。とりあえずマスクしなさい。酒と煙草をよしなさい。とか思ってたらそんなレベルにない話なのだった。困惑に困惑を重ねていく理由は一回性の緊張感にはあまり繋がってない迷宮性だけがそこにある長回しからきている、のかしらん

1977年は郷愁の対象ではあるものの、別に全部よかったわけでもないし普通にヤバくはあった、でも今ほどのどん詰まり感だけはなかったよな、くらいの感覚で捉えられてる気がした。ウチの国のこの感じ、これだからやっとれん…がインフルでうなされる悪夢なのかなんなのかよくわからない何かの散文で語られる(主人公も入れ替わり続ける)。こういう映画を見たことない、と思う一方で「どこかで見ている」謎ロシアらしさのイメージとして再生される。一応オチはついているのだが、それも含めてなんだこれは。

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インフル病みのペトロフ家を見たのですが、なんですかこれは?

後者、私はドキュメンタリーはもう少し尖ってるほうが好きなんだが(インタビューで構成する話はよほどうまくやらないと「ですよねー」以上にならない)まあ題材的にグッとこないはずがないんだよね。公立学校に楽器がある、こどもたちがやってみたいと思った時にやれる環境を行政がちゃんと支援してるとこがここしかないというのがなんとも残念な話なんだけど。日本だって色々削られてしまえばこうなっちゃうんだよなー。直してる人たちが(人生を)直してくれたりより良いものにしてくれた存在に返していく。リペアをアルムナイに繋ぐというのはよかったな。みんなそうやっていく。これがオスカーの短編取ったのも「手を動かしてどこからきた人も助けるアメリカの美徳をもう一回考えてみようや」がギスギスした空気疲れに効いたのかもしれんなーなどと思った。

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『無垢の瞳』と『ラスト・リペア・ショップ』を見たわよ。前者、アリーチェ・ロルヴァケルは本当に人を食ったような話×今のほとんどの映画にはない風格のある画面というたぶん似た人がいなくてこれからも出てこない立ち位置なのでは…というのが短編でもよくわかった。どこに連れていくのか全然わからんのだが「映画」:ablobattention: もちろんアルバ(見れば見るほどにイタリアのアンドレア・ライズボローだなー。福を感じる。ただしこちらは本体どこ?には絶対ならない。のに似ている)さんがいることは大きなポイント

「回転」と「たたり」みたらすごくうまく引用してるフラナガン版の良さ再確認もできて、またリピートしたくなるやつ!今年は秋の季語フラナガン期間はない…のですかね…

ねじの回転→ブライマナーなのであってますあってます!ブライマナーもめっちゃすき!(映画「回転」も好きです!)

何かをしながら別の何かをせずにいられないタイプの人だと身体の動きを思い返せば常にそうなのとかすごいコントロール力だよね。日焼け止めを塗りながら歩く登場。友達の声に相槌をうちながら横の会話の方を聞いている。タバコを吸いながら自転車に乗る。甘いのとしょっぱいのうれしー。マルチタスクなわけではない。何かひとつだけ強く欲望して突き進んでるわけでもない。選択したくない。ふたつ以上が必要なだけ。若い女子の話として自意識のほうにいかず「困った人が困っている」話をただそれだけに描かれてるの自体が珍しいので、そこは素直に賛。当たり前の「にんげん」である苦労の話だと思いました。ただわけのわからなさに何かしら背景があることは美点とも欠点とも取れる気がする。

すごくパワフルで魅せられるとこもあるけど、私はだいぶ前に通り過ぎすぎた景色だからかそんなに好きではない、枠かなー。デュオもすごい映画だとは思うけど、好きかどうかといわれると迷うしなー

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20代の頃に身近にいた感じの子の話だなーと思って見てたら違う感じの世界の話になっていた。デュオのリバイバルみたいだなーと思う。しかし男女反転には当然なるわけがなく、ひとりでふたりぶんをやっているのでこれはもう大変に大変な。そういうことかーとなってから「そういえば」が遡ってクリアになるのでむしろ安心して見られた。表象として正しいかどうかはちょい保留したいけど、表現としてはいいのでは。声と音の映画。

「魚座どうし」でも思ったけど、私にはちょい才気走りすぎてる作風なのだが、とにかく根性が大嫌いな、しかしかなり根性のあるタイプの監督なんだろうなと思う。

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ナミビアの砂漠見てきたんだけど、なるほど、こういう話だったのか

「0.5の男」を見てドラマでもショットを撮れる人は撮れるもんだな…と思ったあと(2話目冒頭のセット平行移動素晴らしかった)こういう映画中心主義的な言語が感じ悪いんだろね、と自省するなど(ドラマの文法としてもおそらくかなりちゃんとしてるし)。まだそんなに見進めてないけど、おもしろいです。沖田監督の映画のほうはそんな見てないんだけど。これは気に入りそう。

しかし松田龍平はあれだけ若い時から「アイコン化」運命を背負わされながら本当にまあ見事に(途中から飄々というコマンドを手に入れたのはご本人のお芝居の研鑽あってこそだろうなーと。実に自然にみえるものはたいてい自然ではない)中年ルートまで切り抜けた珍しい例だな、しかもただ立ってるの撮るだけで画面がもってしまう佇まいだけはずっと変わらずにいるんだからすごい

エイリアンロムルスみてきたー。ツイストのない作劇をちゃんとやれる地肩の強さみたいなものと、フットワークの軽さがよいバランスで機能してたと思う。ちゃんと「フィルム」らしさがあって、それがノスタルジックではなくクラシックを志向してる感じで。

根本的に話が地獄(ここにいたら死ぬ→ここから出ようと無謀なことをする→どこまでいってもやつらのせいで出口がない)なとこも、みすてられたこどもたちのなかに「みすてないこと」(良くも悪くも、になるが)をあちら側に渡らない人間性の砦として位置づけるのも堂々とクラシックSFしていて好ましく思った。現代的に見えるとすれば、それはSFは最も現実をうつすジャンルだから、といえるような気がしたな。

私はもともとシリーズに対して愛着がないのですが、これを見たことで全然面白く見られなかった無印がなぜクラシックたりえたか(以前/以後のエポックメイクを成し遂げられたか)の理由はこのくらいきちんと「在る」を信じさせたからなんだ、というのが伝わってきたよ。各作品ごとに「在る」のポイントは違うけど、どの監督も「在る」は守ってきてたんよねー(コヴェナントで信じさせる気をなくしたかのように全部ぶち壊して今作をサポートしたリドスコはよくわからん…とは思っている)

まあゲストのディートリッヒ様場面だけでも元は取れちゃいますが。彼女がそういうなら、そうに決まってるんですよ。そういうことなんですよ。

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『黒い罠』を見たのだが、え、こんな変な映画だったの?有名なオープニングの長回しクレーンショットからすごくかっこいいのに、話と語りがまったく噛み合わない場面だらけで、なんだこの変な映画…犯罪映画のパロディなのかな?ってなった。悪い若者たちのライティングとかギャグスレスレでは。でもあの終盤をみると真顔にも見えるんだよなー。そもそも感情を引っ張るとこがバルガス側にない(妻を守る、にしては中途半端だし、メキシコ市民としての複雑さも強調されてない)、一方でクインラン側に「だけ」に「悪者→只の悪者ではなさそう→でもまあ演じてるの私ですからね」的に人物の奇妙さを強調してるのとかバランスおかしくね?

しかし主人公の妻が怯える設定の方が自然に展開しそうなとこ脅されてまったく怯えない描写からしてうむ?と思ってたらカツラ…のあたりで何だこのノリ?になり。電話番が盲目(主人公の横で視点の定まらない女の顔もずっとパンフォーカスで捉えてるあのショット何?)の理由もなし、モーテルの夜間担当もあんな挙動不審人物に設定されなくたって…場面ごとの「画になる」が優先されるのはちょいと保守的な私は面白くない。が、かっこいい画面の多さは否定できない。この感じはキューブリックあたりとつながるやつかしらーなどと

『金の糸』を見ていた。ジョージア映画はやっぱり歌うのだなあ(今回は突然始まる本格的コーラスこそないけど思い出の歌はふんだんに)。金継ぎのようにこわれた過去を繋ぐ、というテーマからして「見るメモワール文学」すぎて映画自体はピンとこなかったけど(最初から朗読だし…昔の恋人との会話での引用とかも高尚すぎて…)まさに監督のメモワールが今月ちょうど出るのを知り、読んでみたくなった。
hakusuisha.co.jp/book/b651078.

イメージの花やイメージの風、光の白さとあの真ん中に広場がある住宅の感じとか、私はこんなふうに世界を見ている、という91歳視点(主人公はもう少し若く設定されているが、明らかに監督なので…)を見せてもらった、気がする。独り言ふうの箴言的台詞をカメラに向けて話すのとか、ところどころ不思議な演出も「わたしが遺しておきたいこと」をすずろに語るものとすればなるほどなとも。あとTV画面に映ったアルチルさんがそれまでと打って変わってすごく弱々しく老け込んで見えたのが、映画(イメージ)と映画ではないものの差みたいで哀しみがあったのが不思議に印象的だったな

興味深かったのが三世代ものでなく「ひと世代が完全に外されている」ことで、そうか、あの子の親なら90年代の生まれくらいかな、そういう家も多かろう…

るこさんのやつ1と3がわかったけど2がわからなくて、このへん自分が曲をどうやって識別してるのかに繋がってそう!おもしろ!

普通におもしろかったな。機能美があって。女性代議士グループが「国民に隠すな!」って怒鳴るとこに肯定的に見えるのとか(その後の流れで警鐘がそれなりに機能しているのわかるし。それなりなのでみんな緊張感ないが。でも実際そんなんだったんではないかと、時代が時代なので…)「みなさんさようなら」の落下のとことかすごいね、カット割で大変不気味に見える。音楽の入るとこも微妙に変なタイミングに感じて、そこも不思議な面白さ。

やりたいこと以外やらない態度が見える映画っていいよねってなる。キャラクターにはキャラクター以上の何の意味も与えないのも好きよ、トップクラスのアクターが心を込めて完璧な書割を演じ切っているわけで。しかしその「現実み」のなかで芹沢博士だけ二次元的な佇まい、1000%のエモエモのエモな「キャラ」としてゴジラ以上に突破しちゃってるとこもなんかやたらおもしろかった。存在が!すごく!まんが!

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実は見たことがない有名な映画を見る部、今日は初代『ゴジラ』にしたのですが、やー、この堂々たる!オリジンの!堂々さ!焔がねえ、禍々しいのよ。ちゃんと。海がねー、ちゃんと海なのよ。このね、在る!という力がゴジラを存在させてるのだ。あと顔。俳優の。顔が。強い。ゴジラに負けない。顔の。アップ。

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