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鈴木牛後 さんがブースト

今日は久しぶりの句会だった。毎週句会に行くという人もいるけど、それほどの熱意はない。気の置けないメンバーとの、1か月に一度か二度の句会がちょうどいいのかな、と思う。

私が農家としてやってこれたのは、人並みには働いたということはもちろんあるが、合理的思考がある程度できるという素養があったことは間違いない。家業として農家を継いだ人の中には、明らかに合理的思考ができない人がいた。でもそれはその人の責任とばかりは言えない。家業以外のことを学ぶ機会がなかったのだから。

それでも農業が「業」として成り立つためには、努力が報われることが必須で、そこは無視できない。難しいな。

今日は、行田の天祥寺へ言って涅槃図を見てきた。涅槃の日だけの公開ということで出かけたのだが、あまり人もおらず、じっくりと見ることができた。

制作年代はわかっていないらしいが、描かれている象の爪が尖っていることから、象がまだ日本に来たことがなかった江戸時代初期のものと推定されているらしい。

これは私も気づいていた(以前に誰かのコメントを読んで気づいたのだが)。こういう演出だから面白いのか、企画自体が面白いからアナウンサーの仕草や台詞が引き立つのか。両方なんだろうけど、時代が変わってきているのだから、企画の面白さだけで引っ張っていけたんじゃないかと思う。

番組が終わるのは、毎回見ていたのでとても残念(と、言えない雰囲気なのであれですが)

今日の日めくり俳句カレンダーは《いそいそと建国記念の日の句座へ 稲畑廣太郎》。うーん。ホトトギスらしいといえばそうなんだけど、どうもね。いそいそと、ね。

エネルギーが不足しているのか、もうXに個人的なことを投稿するつもりはない。結社誌の宣伝くらいはするかな。ここに投稿しているのは、これくらいがちょうどいいかな、という気分なので。

さっきエゴサーチしてみたら、ここに書いたこともグーグルに拾われるのね。知らなかった。

北海道の友人が送ってくれた酪農雑誌の記事。ある酪農家の女性が、私の句集に救われたという話が載っていた。私の俳句にそれほどの何かがあるとはとても思えなくて、不思議な感覚。岡林信康が、歌はぼくのうんこだ。うんこを拾ってくれる人がいるなんて、こんな不思議なことはない(不正確)と言っていたことを思いだした。

さいきん、お酒を飲むと視野が暗くなってしまう。いつだったかは立っていられなくなって、その場に座り込んでしまった。これは、アルコールを分解するのに血流を取られて、脳に行かなくなるためらしい。ふだんから血圧が100あるかないかだから、すぐに足りなくなるんだと思う。できることは何もないけど、まあ気を付けよう。

それにしても、ナショナリズムに対して無防備すぎると思います。「終戦日」などの季語で、あれだけ反戦を詠んでいるのに。過去の話だけではないはず。

メールを送ったのはこの件ではなくて別件でした。ツイッターには書いたはずですが。失礼しました。

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俳句とナショナリズムの話。改元のときに現代俳句協会で俳句を募集していたのには驚いた。何のためらいもない「奉祝」。協会の中から反対意見は出なかったのかなあ。あのとき協会にメールを送ったんだけど、ご意見は承りました、みたいな感じだったような…。

引っ越ししてから初めて歯医者に行ってきた。スーパーの中にある歯医者だけど、入ってみたらとても広いのでびっくり。治療方針をはっきりと説明して同意を求めてくれるのがとてもいい。憂鬱な歯医者だけど、楽しく?通えそう。

住みにくくなるような話ばっかり。外国人だけの問題じゃなくて。

鈴木牛後 さんがブースト

やばいなこれ

税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS2544Z5S21UTIL01R.html

「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《雪晴風(ゆきはらし)天よつかまるものがない 村一草》雪晴風は吹雪のあとの晴天に吹く強風。吹雪を耐えてきた身には、待っていた晴天の澄明も寄る辺なさを感じさせるものなのか。

散文置き場には、小田島渚「羽化の街」評(五十嵐秀彦)、恩田侑布子「はだかむし」評(鈴木牛後)を掲載しています。

yukihana-haiku.com

標語のような俳句とか、通俗的な思いの表白とか、そういう俳句が句会で点を集めることはよくあって、それが句会というシステムの難しいところだと思う。参加者にそれが良い俳句だと認識されてしまうし、点数がほしいとどうしてもそっちに寄っていってしまう。自分が本当に信頼する人とだけ句会をすればいいのだが、そいういうわけにもいかないし。難しい。

原稿を書いた。依頼文書を改めてみてみると、書いたものは依頼された趣旨とは少し違うような…。でもまあ、たぶんOKでしょう。

北海道のかなり前の俳句のことを書いた。北海道を離れても、長年住んだ北海道からはなかなか意識は離れないということ。でも、今年は暖冬だったこともあって、あまりの冬の違いに、北海道の遠さを感じてもいる。

今日は調べ物で俳句文学館へ行ってきた。俳句文学館には何でもある、というわけではないのね。それでも目的のものの大半は収蔵してあって、それらは多くの人の寄贈で成り立っていることを知った。

俳句文学館のスタッフって、賃金が発生しているのだろうか?事務所の経費は? どうやって運営しているのか、部外者から見ると不思議ではある。ありがたいことだが。

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