https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1074842
イラッとしたり落ち込むような情報を遮断する、というのは、メンタルキャパシティがカツカツになってたりする時には有効なのかもだけれど。
とはいえまあ、大多数の人々はそもそも心の成長的なものなんざ求めてないだろうし。
ただただ卑猥な言葉を思いつくままに垂れ流すアカウントとか目の当たりにした際には言葉を失ったしな。
私がやってるのは心の排泄、とは平素から言ってるけど、自分の中である程度の規律は存在しているし。
てかまあ、今の日本語の批判という言葉には、犬笛吹かれたネトウヨの人海戦術のような、避けなければ被害確実の野火みたいなニュアンスも含まれれば、MLKのホワイトリベラルみたいな真っ当なクリティークもあるわけで。
そういうのを十把一絡げに「批判コワイ」とばかりにミュートブロックしてるんだったら、チラシの裏に今日の天気でも綴って1年前のを読み返す、みたいのをしてればいいんじゃねえかなと。
何が言いたかったのかというと、マイノリティの事を学んでよい社会にしたい、よい人になりたい、というよりは。
マイノリティのことを学んだつもりになって良い人間になった気分に浸りたい、という人々で溢れてるんだなと。
そりゃ自分に批判的な言説はシャットアウトしたかろうよ。
映画マトリックスの世界みたいにチューブに繋がれてカプセルの中で生きてりゃいい。
頭に引用した”SNS疲れ”みたいなのとは主題がズレるけれども、ゴールデンカムイみたいな都合のいい文化盗用でウハウハしたり韓国ドラマで喜怒哀楽したりするのとも通じるメンタリティなのかなと。
無知な私も手軽に学んだ気になれていい気分になれるツール、みたいな感じ。
映画一本、本一冊読んだくらいでエキスパートになったつもりになってるダニングクルーガーさんにも通じるものがあるんじゃないかしらね。