税金を払ったり経済に貢献したりする”役に立つ外国人”という言葉のグロテスクさをどうやったら”普通の日本人”も理解できるもんかな、と考えていたのですが。
わかりやすい言葉としては、”役に立つ日本人”かなと。
役に立つ、ということは役に立たない、という概念の対比なわけで。
つまりは”役に立たない日本人”、というとてつもないグロテスクな存在を生んでしまうわけですよ。
その対象がグロテスクというわけではなく、役に立つ、役に立たないという考えそのものがグロテスクで野蛮で幼稚なのです。
ともすれば第二次世界大戦以前の優生学に直結する考えだからです。
みなさん大好きなナチスが代表例ですが、大日本帝国もやってました。
ってか忘れてた、1996年までハンセン病患者などの人々に対して優生保護法のもと不妊手術などをやってましたね。
現行の日本で。
だから、というか、”普通の日本人”の間では”役に立たない”人間、はいなくなればいい、というアイデアも「大っぴらには言わないけれど皆さん同じようにお考えでしょうエヘヘ」みたいな共通認識はあるのかもしれませんね。
だからこそ”役に立つ”、”役に立たない”外国人、などという言葉をつかえてしまうのではないかな、と。
意識を変えるとすればもっと根本からですね。 [参照]
話を”役に立つ”、”役に立たない”人間、というテーマに戻すと、その基準というのは資本家目線なんでしょうね。
金を生むか、生まないか、それだけ。
年老いた親が無用だからと姥捨て山にポイみたいなことすれば、詰めの垢ほどの良心でも残ってれば必ず後悔することになるわけでしょう。
腐っても親ですよ。
自分がこの世に出てくるきっかけとなった存在なわけで、それを蔑ろにするというのは、スピリチュアルな話ではなくとも、自己肯定感などの側面からもやらない方がいい事なんですよね。
これから団塊の世代がそういうステージに入ってくるので、安楽死とかも盛んに議論されるでしょうが、”生かしておくのに金がかかる→無駄な存在”みたいな話のもっていき方をするんじゃないかと思うんですが。
これも鈴木宗男みたいな「国家なくして人権なし」みたいな奴らがどんどん進めていきそうですね。
自分らは金持ってるので、殺されないで済み、寿命を全うできるつもりなんでしょうから。
どなたかも仰ってましたが、外国人労働者問題、という問題は本質ではないのでしょうね。
本質は安いコストで労働力を得ようとする資本家とそれを許す政府の問題なんではないかと。
行政でも労働基準法とか監督署とかありますけど、あれも歴史的にみれば労働者の権利主張から徐々に整備されてきたものでしょう。
産業革命以降、10歳に満たない子供が働かされたり、残業という概念すらなかったり、資本家というものは労働者を搾取し続けてたわけで。
いい例とすれば、麻生太郎の麻生グループなんか北九州の大資本家なわけで、それが自分たちの不利益となるかもしれないけれど労働階級のためになにかしら善政を敷こうと考えるかというと、まあ、あり得ないわけで。
資本主義経済が成立してはや300年近く、労働階級のプロテストによって働く環境というものが現代のレベルまで改善してきたわけで、これからも主張するべきは主張し続けてゆかないと改善というものは見込めないのでしょうね。