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大前提として、『セクシー田中さん』という漫画原作ドラマの件は日テレ(と、たぶん小学館も)の対応が酷いと思うし、亡くなられた原作者が気の毒だなとも思う。
ときに、原作とかけ離れた内容に映像化されて原作者がブチ切れた案件というと真っ先に思い出すのがキューブリック監督の『シャイニング』だ。公開当時、この映画はラジー賞にノミネートされていたのだそうで、原作者のみならず世間一般の評判もかんばしくなかったのだろうが、今では名作と評されているし私も好きな映画だ。もっとも、あの映画で印象深いシェリー・デュバルの鬼気迫る表情は監督がパワハラしまくってストレスを溜めまくらせたことで得られた表情なのだそうだ。そういう演出手法の点でも、単純に面白がって見て良いのか悩ましい映画ではあるのだが…。

まあとにかく、個人的には原作とかけ離れた内容に映像化する事を完全否定する気にはなれないのが正直なところだ。『セクシー田中さん』には当てはまらない話であると念を押した上で言うと、愚作駄作の小説等がベストセラーになることは珍しくないし、ベストセラーになれば当然のごとく映像化の話が出る。そこで、監督や脚本家が原作への批評的な意図を込めて映像化することが全否定されて良いものなのかと、あえて世間の風潮に逆らって言ってみたい。

もうじきプロ野球のキャンプインなので、野球のピッチャーを描きました。

風寒し便りひとひら足元に

まだまだ寒いが、寒さに似合わぬ春めいた白い花びらを足元に見つけて、もう梅の季節か…と感慨深さのあまり一句ひねった。
俳句を作る時は二重季語にならないようにとか春の季語と冬の季語が入り混じらないようにとか一応考えて作るので、「梅」とか「春」といった単語は使わなかった。おかげでわかりにくい句になってしまったし、そんなルールは馬鹿馬鹿しいとも思うが、やはり素人俳句なりにルールはわかっているぞとアピールしてちょっと見栄を張りたくなるんだな。

「バイバイTwitter、もう二度と会うことはないだろうよ!」そう格好よく啖呵を切ってTwitter(現X)に訣別宣言をしたのは去年の7月か8月のことだったか。恥を忍んで白状すると、Twitterのアカウントは消したままで新しく作り直すことはしていないが、nitterなどの検索エンジンを使えば特定アカウントのタイムラインをログインせずに見ることができるので、それを使って今もたまにTwitterを覗いている。私が覗くアカウントはごく穏当な政治アカウントとか選手の誹謗中傷は決してしない良心的阪神ファンとかなので、投稿を見ている限りでは至って平和そのものなのだが、この投稿やけにリプライがいっぱいついてるなと思ってうっかりリプ欄をタップしてしまったが最後、差別的クソリプまみれの地獄絵図を見る羽目になる。正直私がやっていた時よりさらに酷くなっているような気がするし、こんなSNSやめてよかったとしみじみ思う。最近では若い連中はTwitterよりInstagramをやっている人の方が多いそうだし、2ch(現5ch)もとっくに影響力を失くしている。ネット世論は酷いのがデフォルトだしこれが日本の民度だとよく言われるが、水は低きに流れるとは限らないよね。ネットの悪場所のクソみたいな意見を天の声扱いするマスコミが悪いと思う。

最近、夕方に大相撲中継を見ることが多いのだが、名物解説者だった北の富士がさすがに高齢で体調もかんばしくないせいか出てこなくなって、おかげで舞の海の小賢しい解説に釘を刺す役回りの人がいなくなってしまった。ペラペラと饒舌な割に中身がまるでなくてイラつくんだよな、舞の海の解説。「日本人横綱が出てないのは日本国憲法のせいだ」などとほざくクソ右翼なせいもあってか舞の海は外国人力士に妙に辛辣で、ことに現役時代の白鵬にはやたら厳しかったが、一度白鵬(現・宮城野親方)と共演させてみたら面白いのではないか。白鵬の解説を聞いていると、なぜ彼があれほどの大横綱になったのかわかる気がする。とにかく取り組みをよく見ていて、凡百の解説者では全く気付けない点を鋭く指摘するのでいつも感心させられるから。舞の海の解説とは対極だよね。現役時代いつもボロカスに言っていた舞の海との共演は不穏な感じで面白そうだけどな。

私が子供の頃から指名手配写真でおなじみの顔だった桐島聡という人の身柄が確保されたというニュースが夕方ごろあった。その第一報を聞いて思ったのは、例えば中核派とかだったら今でも厳然として存在する組織なわけだからかくまってくれる人もいるだろうが、東アジア反日武装戦線なんかもうとっくの昔に雲散霧消している組織だろうから、絶対もう死んでるか外国に逃げているかのどっちかだろうと思っていた。意外とそんな一時代前の極左組織のメンバーでもかくまってくれる連中がいるのかなあ…と思ったのだが、色々報道されている話を聞く限りでは、あの有名な指名手配写真とは似ても似つかぬ風貌だったから今まで誰にも気づかれずに日常生活を送っていたということなのかな。死期を悟った本人が自ら名乗ったということらしいから、別に公安警察の執念の捜査の成果というわけではないと思う。

相模原のやまゆり園の事件の時も思ったことだが、「人間には生きるべき人間と死んだ方が良い人間の2種類があり、後者については積極的に殺すべきだ」という考え方は植松聖や青葉真司のような殺人者と死刑存置派が共有している考え方だ。何か大きな事件が起こると「こんな奴は殺せ!一日も早く吊るせ!」との大合唱が起こる状況は異様だと思うが、その異様さをうまく言葉に言い表せない。おずおずと口ごもりながら「それでも私は死刑制度に反対だ」と言った途端に白ーい視線が四方八方から飛んできて、被害者遺族の気持ちを踏みにじる人非人だと罵られる。そういう人命軽視の空気こそがやまゆり園事件や京アニ事件のような悲劇を引き起こすのではないか。どんなに白い眼で見られようとあくまで死刑には反対だと言い続けたい。
nikkansports.com/general/nikka
人命軽視の立場からものを言っている限り、この冷笑野郎の下衆そのものの主張を完全否定することもできないのではないかと思う。

身内の個人情報をもらすようで何だが、実は私の母は能登出身で、母方の親族の多くが今も能登で暮らしている。伝え聞く限りでは震災で亡くなった人はいないようだが、中には避難所暮らしを余儀なくされている人もいるらしい。母方の親族とはもう何十年会っていないかというレベルで疎遠になっているのだが、そうは言っても少なからぬ縁がある土地だし、子供の頃には母に連れられて何度も能登に遊びに行った。そういうわけで、大災害になると常に心が痛いのだが、今回は余計に心を痛めている。と同時に、わざとやってんのかと言いたくなるくらいの政府の対応の遅さ、ボランティアは迷惑だとがなりたてるクズネトウヨ、ここぞとばかりに限界集落廃村論を唱えるゴミ政治家(室井佑月の亭主の米山!)に激しい怒りを覚えている。

ときに、石川県は一向一揆の本場として知られ、武家権力を農民が放逐し「百姓の持ちたる国」だった歴史を持つ。そういう抵抗の歴史を持つがゆえに、強く頭を押さえつけられて今では日本屈指の保守県になっているのかなと思う。例えば幸福の科学というクソみたいな右翼宗教の布教が最も盛んなのは沖縄であるように、そういう例は今でもある。もっとも母いわく、一向一揆の伝統は今も能登の人々の心の奥底に息づいている、舐めない方が良いとのことだが…。

大災害やら金銭腐敗政治やら芸能スキャンダルやらに気を取られているうちに、1月も下旬に入りプロ野球のキャンプインも近くなってきた。阪神のキャンプメンバーも発表されたが、ドラ1の下村が2軍スタートなのは少し驚いた。でもまあ、1軍でいきなりばりばり投げるには少し身体ができてない感はあったから。174cm74kgだったっけ?かなり小柄だよね。やはり体重80kgくらいないと1年もたないという判断で2軍スタートになったのではないか。一般人の感覚だと身長マイナス100くらいの体重だとむしろ太り気味な感じだが、そこはプロ野球選手になると感覚が違うわけだからね。と、偉そうなことを言っている私は2年くらい前まで体重107kgだった。身長は207cmもあったはずもない。今は身長マイナス100以下の体重に落ち着いているが、よく死ななかったものだ、まったく。

共産党の民主集中制が批判された時、党内運営の問題なのだからどんな風にしようが共産党の自由であり、外部から批判すべきではないなどと言ってかばう人を複数見かけた。もし仮に共産党政権になったら党内を統治するのと同じように日本を統治することになる可能性が高いのだから、共産党の非民主的な党内運営をそんな言い方で擁護するのはおかしいのではないかと思う。この党はゴルバチョフ的な人が出てこない限りもう先は無いだろうと前々から思っていた。田村智子がそうなれるかどうかは知らないが、引っかかるのは田村が小池晃に公の場でパワハラを受けた(私も当該場面の動画を見た)件だ。党内の女性差別体質の表れなのではないかと思ったが、それと同時に、次期委員長に公開パワハラをする行為がまかり通るような党なのか?上意下達の民主集中制の党なのに?と疑問に感じた。あれを見ると田村智子の党内での威信はあまり高くないのかなと思う。田村が日本のゴルバチョフになってペレストロイカを断行し、共産党を政権を狙える党に脱皮させる…ということをあまり期待しないほうが良さそうだ。

jbpress.ismedia.jp/articles/-/
「松本人志は笑いの天才だ。たとえ私生活で不行状だったとしても、彼の才能は否定できない」といった物言いを見るたびに、所詮私にはお笑いを理解するセンスがないのだなとすねていたので、いや松本は天才なんかじゃないぞという主旨の文章を読むと正直ホッとする。桂枝雀の努力によって形作られた本物の話芸はダウンタウンの暴力イジメ芸なんかとは比較の対象にすらならない!と言ってもらえると、だよねー!俺もそうじゃないかと思ってたんだよ!と100回くらいうなずきたくなる。しかし、一応平成の世を生きてきて時代の空気感を知っている者からすると、古き良き昭和のお笑い、つまり内輪ウケを排した練り込まれた笑いが復権するのはなかなか難しいだろうなとも思う。ただ、テレビに内輪ウケのお笑いを持ち込んだのは『オレたちひょうきん族』のフジテレビだろうが、かつては内輪ウケお笑い番組で隆盛を極めたフジテレビも今はテレビ東京にさえ視聴率で抜かれてジリ貧状態だ。時代の空気は徐々に変わりつつあり、松本人志の失脚はその象徴である…というのは甘い見方なのかねえ。

今日は小正月なので、季節行事が大好きな私は朝早くから眠い目しょぼつかせつつ起き出して小豆粥を炊いた。七草粥ももちろん野趣があって美味いし良いものだが、小豆粥も良いよ。土井勝(善晴氏の父)の古いレシピに従って作ったのだが、小豆も柔らかく炊けていてじつに美味かった。小豆が多いほうが好きなのでレシピの倍量使ったのだけどね。

小正月は別名で女正月とも言うそうだが、向田邦子の『阿修羅のごとく』に『女正月』というエピソードがあったのを覚えている。劇中で鏡餅を崩したものを揚げて食べていたが、小正月にそういう風習は私の住む地域には無いので、へーえと思って見たものだ。女たちが心の中では鬼みたいなことを考えながら、ニコニコ和気あいあいと揚げ餅を食べるのである。こわー。

ジャニーズや松本人志など芸能界の性加害問題について何かと騒がしい昨今だが、最初に告発がなされた先駆けと言えるのは映画界における性加害問題だった。その映画業界での性被害者を迎えての討論番組の動画を昨日2本見た。
youtube.com/watch?v=CMXXf-nWG5
youtube.com/watch?v=u-AeB9-R9T

見ていて思ったのは、つくづく日本はムラ社会だなあということだった。“お笑い芸人ムラ”では女性を強姦することがさほど悪いこととされておらず、それ故に芸人仲間やお笑いファンがおぞましい松本擁護論を唱えていて酷いものだが、一方で“リベラル文化人ムラ”では森達也の加賀賢三氏への脅迫的な二次加害発言が特に問題視されていないし、“サブカル文化人ムラ”は一度はお仲間の園子温の肩を持って被害者に二次加害を加えた。町山智浩と水道橋博士はそんな“サブカル文化人しぐさ”を表向きには神妙に謝罪していたが、自分の属するムラ自体を真に批判的に総括することはできていないように見えた。

とりあえずarc timesについて思うのは、性加害問題を重大視して動画をシリーズ化するのは良いが、だったらなぜ宮台真司を準レギュラーで起用するのかをひと言くらい説明してしかるべきではないか。宮台は自分達と同じ“ムラビト”で仲間だからか?

mainichi.jp/articles/20240113/
やはり大山鳴動してゴキブリ一匹も出なかったか。池田とかいう議員が捕まったじゃないかって?そんな屁みたいな陣笠議員なんかゴキブリどころかダニみたいなもんだ。まあ、そもそも検察に世直ししてもらおうという発想自体が間違っているので、安倍派五人衆はじめ裏金を作っていた議員はちゃんと有権者が選挙で落とさないと駄目ということだな。「そうは言っても○○先生には色々と世話になっているからねえ」とか「共産党に入れろと言うのかお前は?」とか、そんなこと言ってる奴が駄目なのだ。裏金だぜ裏金。国家の寄生虫の犯罪者だぜ。そんな奴らは四の五の言わずに落とさんかい。

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この文章は昨晩書いたものだ。最近投稿できてないなー、よっしゃ、一丁気合を入れて長文を書いたれ!と思って書き出したが、書いている途中で寝落ちしてしまい、今日になって最後の3行ほどを書き足した。こんなどうでもいい文章を書くのに二日もかかるとは、俺ももう年やなー。

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「お酒はぬるめの燗がいい…」確かにそうかもしれない。だが、私は日本酒はちびちびとゆっくりいただくタイプなので、ぬる燗だと一合を最後まで飲む頃にはすっかり冷めてしまっている。なのでいつもとびきり燗で飲む。それだと最後のひと口を飲む頃にはちょうどぬる燗くらいの温度になっているから。というか、それでも相当急いで飲まないと最後には冷えてしまうから、燗酒を飲む時はいつもかなりオーバーペースになってしまう。お燗は好きなのだけど冷酒で飲むことが多いのはそういう理由なのだな。

ときに、八代亜紀というと小学校だか中学校だかの同級生に麻原彰晃がいたという話が非常に印象に残っている。あの松本くんがあんな事件を起こすなんて…というコメントを地下鉄サリン事件の当時残していたような記憶があるが、あいまいな記憶だからもしかしたら違っていたかもしれない。ひょっとしたら夢か何かで見たコメントで、現実にはそんなコメントは残していなかったかもしれない。まあとにかく、八代亜紀がそのようなコメントを残していたような記憶が私の脳裏にこびりついているというだけの話だ。オチはない。

大河ドラマの第1回目は必ず見ることにしているので『光る君へ』もとりあえず見てみた。平安貴族の閨閥政治をねっとり嫌らし〜く描いていて、ちょっと大奥っぽいが悪くないと思ったのでしばらくは視聴継続するつもりだ。少なくとも、ジャニーズ学芸会みたいだったファンタジー家康よりは面白くなるのではないか。私は紫式部より清少納言のほうが贔屓なので、藤原三兄弟の中で道長だけが好人物に描かれているのには正直言って鼻白むけどね。

阪神大震災の時、のちに西宮市長になる某氏(名前は忘れた。ただ、新聞記者相手に「てめえ殺すぞ」と暴言を吐いて市長をクビになったのは覚えている)も被災者だったとの事で、当時のことを回顧しているのを読んだことがある。曰く「一番感謝しているのは自衛隊。彼らには感謝してもしきれない。逆に一番恨んでいるのはボランティア。奴らは被災地へ物見遊山に来ているだけで迷惑でしかなかった!」と。迂闊なことに私はこのコメントを一度は真に受けてしまい、相当のスキルがあって尚且つしっかりと準備ができる人以外はボランティアなんかしない方が良いのかなあなどと思ってしまった。その後、様々な大災害を見聞きするに及んで、こういう「ボランティアは迷惑だから来るな!」という言説は一種のネトウヨ言説なのだと理解するのにそれほど時間はかからなかった。例の西宮市長も結局はトンデモ市長だったわけだし。

それにしても、今度の能登の震災ではいつもに増してボランティア迷惑説が猖獗を極めているなと思う。政治家がその手の言説に同意するに至っては何をか言わんやだ。これはもちろん与野党6党首会談で国会議員の被災地視察の自粛を決めたことを言っている。我々は被災者を見捨てますと言わんばかりの決定をしたクズ6党の中に共産党も入っているというのが面白い。…いや、面白くない。

何度でも言うが、私は愚民思想こそが現代日本で最悪の思想だと思っている。「私以外の日本人はみんな馬鹿だ。ああ〜私以外の馬鹿な日本人のせいで日本は滅ぶ」みたいなことをほざく奴は他の事についてどれほどまともそうな事を言っていようが一切信用しない。例えば、今度の能登の震災で志賀原発は「全く異常なし」と一度は発表されながら実は電源が半分消失するなどかなり危ない実態が後に明らかになったが、なぜ隠蔽を図ったのかを責任者に問いただしたら何と言うと思う?絶対、「本当の事を言ったら馬鹿な住民がパニックを起こすから」と言い訳するに違いないのである。さらに言えば、地震以後の総理大臣記者会見で原発関連の質問が記者から全く出ていないそうだが、なぜ質問しないのかと記者連中に問えば「馬鹿な国民がパニックに(以下略)」と答えるに決まっているのだ。一事が万事この調子だ。こんな愚民論者連中こそが実は最も馬鹿であることは言うまでもない。

こう言うと、リベラル派の嘆き系愚民論者はちゃんと政府を批判しているぞ、一緒にするな!と言われそうだ。だが、もし仮にいま立憲や共産中心の政権だったら、こいつらも馬鹿な国民には知らしむべからずとか言い出すに決まっているのだ。実際、野党系市長の横浜あたりでは妙な話が聞こえてきているわけだしね。

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